幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

2021.7/11 インスタのアプリを削除した

アボカドの目利きができなくなってしまってへこんでいる。たかがアボカドの目利きでも、私にとって「唯一」といっていいぐらい自信をもっていたことで、それができなくなるのは足元ががらがらと音を立てて崩れるに等しい。

というのは少し大げさだが、自己肯定感がうそみたいに低い人間にとって「得意なこと」は、唯一自分の価値を感じられる部分だ。だからこそそこが崩れてしまうと、今より低くなりようがない自己肯定感がより低くなるというリスクもはらんでいる。そんな自己肯定感爆下げ事件がここ数日で二回も起きて絶望している。

前は百発百中だった。当日食べるのはもちろん、2〜3日後に食べるのにピッタリなものも選べた。私がアボカドを買えば予定通りおいしいアボカドを食べられるのは当然のことで、まさか裏切られるとは夢にも思ってなかった。

アボカドに限らずスーパーの食材を散々手で触って吟味している人をたまに見かけるが、あんなのはナンセンスである。真の目利きは適度な距離からの目視で状態を確認できる。自分の手でこねくり回したものは自分で買おうな。周りの人みんな「うわあ…」って目で見てるぞ。気づいてないの、お前だけだぞ。恥を知ってくれ。

そんなわけで2回も連続で熟していないアボカドを買ってきてしまった。熟していないアボカドを食べるなら生よりも火を通した方がいいと見たので、グラタンにして食べた。まぁまずくはない。というか他の具材とグラタンの味付けでアボカドの存在感なんか皆無である。すまない。

 

暇になるとインスタを見てしまうのだけど、この頃見ていて気分を害する投稿(おそらく投稿者に悪意はない)をよく見かけるので、ついさっきアプリを削除した。

削除する直接のきっかけになった投稿はこんなものだった。

「お体に気をつけて」とか「病気にならないようにね」は呪い。脳は否定形を理解できないから「病気にならないようにね」は「病気になる」と理解される。先日こんな内容のメッセージをもらってすぐ「呪いだ!」と気づいたので、返信せずブロックしました。

 いやいや、気遣って言ってくれたのかもしれないのに返信せずブロックはないだろ。と思ったら「知りませんでした!教えてくれてありがとうございます」だの「私もやってしまってました。気をつけます」だの、投稿者を「教祖」とあがめているかのようなコメントばかりで久々に心の底から気持ち悪いと思った。「私もやってしまってました」ってコメントがあるぐらいだから、相手にその気がなかった可能性ぐらい想像できそうなのに。「私人の気持ちとかわかっちゃうから〜」って聞いてもいないのにエスパーアピールしてくるやつ、たまーに見かけるけど、それは違うぞ。お前らが人の気持ち勝手に決めつけてるだけだからな。

直接知り合いが罵られたわけじゃないのに、なんでこんな気持ちになるんだろう。まぁでもこれで無駄にスマホいじる時間も減っていいでしょう。

最近YouTubeのコメントチェック機能の性能が上がって、投稿者を攻撃したり非難したりするような内容はAIが自動で削除するようになったらしい、と聞いた。あからさまな誹謗中傷は削除された方がいいと思うが、それと並行して投稿者に対する反対意見も「書いてはいけないもの」として受け取られるようになった気がする。聞いてもないのにアドバイスされたり意見されたりするのが嫌な気持ちになるのはわかる。とってもとってもよくわかる。私もされたらムッとする。それでも賛成と称賛と承認ばかりのコミュニティが健全とは思えない。