幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

2021.6/22 部屋着の寿命

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(c)kiri子

2年ほど前に買ったTシャツを着たら襟が伸びていた。前に襟を手洗いしたときに思った「あれ、伸びてる?」は思い過ごしじゃなかった。まぁ安物だし、ずっと売られているものだからまた同じのを買って、このTシャツは部屋着として着倒そう。

部屋着の寿命ってどうやって見極めたらいいんだろう。私は外に着ていけないぐらい傷んだ服を部屋着にしていて、同じような基準で部屋着にするか否か判断している人は多いんじゃないかと勝手に思ってる。外に着ていける・いけないの判断はわかりやすい。どうしても取れない汚れがついてしまったり、襟がヨレヨレになってしまったり、人から「だらしない」と思われそうになったらアウトだ。けど部屋着は人に「だらしない」と思われるような服でもいい。むしろそっちの方がリラックスできる気がする。

捨て時の服が部屋着のベストな状態として、部屋着の捨て時はいつだろう。穴が空いたパーカーは部屋着の中で一番のお気に入りだし、襟どころか全体的にヨレヨレなTシャツはまだまだ着るつもりだ。バスケットボールほどの大きな穴が空いたり、半分以上カレーに浸かったりしたらさすがに未練もなくなるだろうけど、普通に生活してて服がそんな状態になるとは思えない。今着てる部屋着、いつまで着てるんだろうなぁ。

2021.6/19 豚に真珠の前兆

仕事のスケジュールが急に変更になったせいで曜日の感覚がバグってる。夕方ぐらいまで「今日は日曜日」感が抜けなかった。6月21日からAmazonプライムデーということでなにを買おうか考えているうちに一日が終わって、本当に日曜日になった。

安くならないみたいだけど、思い切ってiPadを買ってしまおうか悩んでいる。少し前まで電子書籍リーダーにだいぶ気持ちが傾いていたけど、今日大きくiPadにぐらついたのだ。

 

学歴が実質中卒未満の私は学歴コンプレックスがひどいので、みなさんが小中高で終えた勉強を今さらやっていまして。今の進捗状況を発表するならアラサーにしてやっと高校(偏差値30台)に進学したって感じですかね。

話がそれました。動画学習サイトでプリントをDL→印刷して勉強しているのですが、まー紙がジャマで仕方ない。今やっている教科だけで500ページ近くありますからね、そりゃ机の上も片付かないってもんです。

iPadなら印刷の手間も省けるし、マーカーも引けてメモも書けて紙がいらないと気づいて、がぜん欲しくなった次第。500枚の紙を想像してみてください。家電量販店で束になって売られている、むかつく上司をシバける厚さと重さのあれです。ついでにそれが包みから出されてバラバラに散らばっているところも想像してみてください。地獄です。

「できるだけお金をかけずに生きていく」をモットーに生きていこうと思っていたけど、こればっかりはしょうがない。実際勉強し終えた紙の置き場所にすごい困ってる。今はプリンターと棚の上にとりあえず置いてるけど、勉強を進めるにつれて増えたらお手上げだ。正直プリントを見返しはしないだろうけど、かといって捨てるのももったいない。iPadならPDF書類のキーワード検索もできるみたいだし、iPadで管理するのが正解としか思えない。

 

iPadを買ったら他に何をしたいか考えてみたところ、

・読書

・お絵描き

ぐらいしか出てこなかった。買ったところで持て余すのが目に見えてる。Appleのなにがすごいって「私もクリエイティブなことができる気がする!そう、Apple製品ならね」と錯覚させるところだと思う。

 

せっかくなのでデジタルペイントってどんなものかしらとスマホで初めてお絵描きしてみたんですけどね、

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(c)kiri子

使いこなせる気がしない。ちなみに何を描いたかというと、梅雨入りでナーバスになりそうな気分を少しでも明るくするために枕元に貼った、好きな傘の写真と絵のポストカードです。デジタルペイント、むっず。指で描くしかないのに画面においた指のせいでどこに線が引かれるかわからないの、むっず。テレビで見た絵師さんはサッサッて線引いてたけど、慣れたらあんな軽やかに描けるの?画面の大きいiPadにしたところで上手く描ける気がしない。けど気軽に色つけられるのはいいですね。手描きだと色つけるの格段にめんどくさくなっちゃうんですよね。昔は「こんなこともめんどくさがるなんて、私ってダメだ…」と落ち込んでたんですけど、最近では「横着極まりない私のことだから、少しでも楽できるようにしておこう」と環境を整えたり設定を変えたりするようになりました。自分の扱い方が上手くなった。楽するための努力ならできるっぽい。

また話がそれました。こんな感じで日曜日も同じように悩んでいるんでしょう。今年はスマホも新調したしプロジェクターも買ったし、高額の買い物が多い。

2021.6/16 部屋がラムネ臭い

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(c)kiri子

梅雨入りしてから冷房を入れるほどではないけど少し暑い、という日が続いている。そんな天候になってもリングフィットを変わらず続けていて、体を動かすと暑くてたまらなくなる。冷房を入れればもう少し長く運動できるけど、そのために冷房を入れるのはなんだかなぁ、と思うので短時間しかできなくなった。まぁ少ししたら冷房入れるようになるから、そのときを待てばいいか。

リングフィットをやっていると汗をだらだらかくので、ボディペーパーが欠かせない。最近のボディーペーパーは実にいろいろなものが出ていて、「超涼感!」と袋に書かれたのを買ってみたけど、ラムネっぽい変に甘い匂いがついていて買ったのを後悔した。早く使い切りたい。

 

こないだ片付けたはずなのにもう机の上が散らかっていて、原因を考えたら本棚がぱんぱんで机の上にしか本を置くスペースがないからだとわかった。読んでない本は売ればいいのだけど、なんとなくそういう気にもなれない。新しい本棚を置くスペースもないし、新しくスペースを作ったところでそのうち埋まるし、さてどうするか。

と大して考えもせずに考えるのをやめてしばらく経ってから、電子書籍リーダーという商品を知った。知った、というか前から知ってはいたけど、どういうものかは今回調べて初めて知った。最初はKindleを買うつもりでいたけど、アマゾンからしか本を購入できないと知ってやめた。日本の本屋さんも微力ながら守りたいので、紀伊国屋とかジュンク堂とかからも買える端末はないのか調べ、「これが良さそう」という端末を見つけた。

問題は価格で、欲しい本全部買えちゃうのでは?と思うぐらいお高い。日本製の製品でないのは別にいいんだけど「不良品が届いたので問い合わせたら自費でこちらに送れと言われた」という口コミも購入にブレーキをかけている。もう少し待ってたらいいの出るんじゃないかなぁ、という気もしている。まだまだ読めてない本があるから、今すぐ決めなくてもいいか。ほっとこう。

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 大人になることを許された子どもたち

これまで公開されていたエヴァの劇場版完結編がアップデートされたという。なかなか観に行く決意ができなかったけれど、「3.0+1.0」と副題が改められたタイミングで観に行くのがいい気がした。というのは建前で、特典商法に引っかかっただけです。すいませんカッコつけました。でも観に行くきっかけができて良かった。

完結編を観ることは「終わり」を受け入れることで、エヴァ世代ど真ん中でもなければたいそうな考察をしたこともないくせに、「終わり」を迎えてしまうのがなんだかもったいなくてずるずる先延ばしにしていた。でもまぁとにかく観てきたので、感想書きます。TVアニメ版、旧劇場版( Air/まごころをを、君に)は鑑賞済み、用語はキリスト教と関係があるらしいぐらいの知識しかないので、深い考察とか解説は一切ないです。

アスカの名前や新キャラ・マリちゃんなどの設定から、TVアニメ版、旧劇場版と地続きではなく「旧作とはいろんなことが少し変わった世界のエヴァ」として観ています。

※以下ネタバレ注意

 

 

 

 

 

公開当時、「隣の席の人が泣いていた」とか「劇場内で鼻をすする音がしていた」といった感想を見た。上にも書いた通り私はさほど熱心なエヴァファンではないので、泣きたくても泣けないだろうなぁと思っていた。それでも冒頭の「これまでのエヴァンゲリオン」で「あぁ、本当に終わってしまうんだなぁ」と涙が出そうになって自分でも驚いた。熱心なファンではないけど、Amazonプライムでこれまでの劇場版を観ていたし、ここ最近のBGMは宇多田ヒカルの「Beautiful World」だったことを考えると、私にとって影響力がある作品なのは間違いない。

余談だが宇多田ヒカルを最もすごいと思ったのは「Beautiful World」を初めて聴いた時だった。「エヴァにここまでぴったりな曲を、しかもファンである宇多田ヒカルが作ったなんて…!」とにわかには信じられなかった。「天才」とかそういう次元を超えている、と初めて人に対して思いました。余談終わり。

 

映画を観ている間「お前らもいい加減大人になれよ」と言われている気がして、あまり自信はないけど本作のテーマは「卒業」だと思ってる。その上での感想です。

「Q」エヴァパイロットの見た目が変わらない理由は「エヴァの呪縛」と説明された。本作ではアスカは、まともな食事をとらなくても眠らなくても生きていける体になってしまったことが明らかになる。アスカだけなのか、エヴァに乗るといずれそうなってしまうのかは説明されなかったけど、これも「エヴァの呪縛」じゃないかと。見た目は14歳の人間でも、もう人と呼べる域にいない。アスカが自分と区別するように一般人を「リリン」と呼ぶのも、「あなたのことが好きだったけど、私の方が先に大人になっちゃった」とシンジくんに言うのも、見た目と中身がともなわない歯がゆさと切なさがにじむ。

人類補完計画を意地でも完遂しようとするゲンドウを、北上ミドリ(ピンク色の髪の女の子)は「エゴじゃん」と一蹴する。まったくその通りで、エヴァの登場人物も関係者もファンも、ゲンドウのエゴに25年間振り回されてきたといっていい。ゲンドウのセリフが少なかった旧作とちがって、本作ではなんとゲンドウの独白シーンがある。親との関係、周りの人間と関わりを持たないよう生きてきた子ども時代、ユイとの出会い、初めて知った本当の孤独。ゲンドウがシンジくんとまともな親子関係を築けなかったのは、「親から愛されていない」からだけでなく、シンジくんに自分のことを理解してほしかったからでは。「ユイに会いたい」というシンプルな願いに反して、ずいぶん複雑な道のりになったことを考えても、「不器用」の代名詞はもはや高倉健より碇ゲンドウの方がふさわしい。でもその不器用さのおかげでエヴァが生まれたと思うと、ケンスケじゃないけど悪いことばかりじゃないね。

すべて理解できていないし、すべて理解できる日が来るとも思えなければ、「Q」との矛盾が気になったシーンもあった。それでも、エヴァファンが最後に見たいと思っていたであろうもの、旧作より少し幸せになったみんなが見れて、私は満足です。

初号機に乗るシンジくん

おなじみの髪型のミサトさん

シンジくんに再会できた二人目の綾波

幸せになったトウジ

母親とゲンドウに縛られていないリツ子さん

生きてお別れを言えた加持さんとミサトさん

アスカは安らげる場所を見つけられた、と思いたいけど、どうなんだろうなぁ。少なくとも旧劇場版より幸せになっているのは確か。

旧劇場版で「他人と生きる」と決意しても、やっぱり他人が怖いからかアスカの首を絞めたシンジくんが、アスカの行動の真意を理解したり、ゲンドウに「父さん、話をしよう」と歩み寄ったり、旧作より他人に対して一歩前に進んだように見えた。これまで三歩進んで二歩下がってた、「三百六十五歩のマーチ」を地で行くシンジくんの一歩。

シンジくんはTVアニメ版で「僕はここにいていいんだ」と自身が存在することをようやく許し、旧劇場版で他人と自分の境も苦しみもない世界を拒絶し、たとえ苦しくても個人として他人と生きることを選んだ。どれも彼の自問自答や意志による結末で、「責任」は問われない。本作でシンジくんは、故意ではないにせよニアサードインパクトを起こしてしまった落とし前をつけるため、もう一度エヴァに乗る決意をする。辛い現実から目をそむけず、周りの人の思いを背負って責任を果たそうとするその姿を「大人」と呼ばずしてなんと呼ぶか。

思えばTVアニメが放送されてからの25年間、シンジくんたちは14歳の姿のままだった。アニメと現実の時間は違うから当たり前だけど、シンジくんたちはずっと大人になることを許されず、思春期の難しくて恥ずかしい時期の中に強制的に置かれていた。本作のラストでエヴァの呪いから解放され、少し成長したシンジくんの姿に「おめでとう」とか「お疲れ様」と言う時の気持ちに似ているけど、その一言では片付けられない感情が湧いた。少しの寂しさもあった。

シンジくんは大人になった。だから私たちも、いくら素晴らしい作品であっても、いつまでも25年前のアニメに固執しているわけにはいかないのだ。とてもありきたりな言葉で月並みだけど、やっぱりこれ以外にふさわしい言葉が見つからない。

今までありがとう。いってらっしゃい。

2021.6/11 なにかとこぼす

この頃コップに入れた水を床にこぼしてしまったり、ウィンドブレーカーにカップ麺の汁を飛ばしてしまったりといった、うっかり事案が続いている。今日は肉汁をシャツに落としてしまって、さっき洗って干した。どうかきれいに落ちていますように。こんなことが続いているので、食事の時はどうでもいい服に着替えることを検討している。確かいきなりステーキで紙のエプロンもらえた気がするけど、あれどこで売ってるんだろう。

最近買った服がことごとく手洗い推奨なので、手洗いをする回数が劇的に増えた。気に入った服はできるだけ長く着たい。自分はわりと洗濯が好きらしく、面倒に思えた手洗いも今は楽しみながらできている。クリーニング屋でバイトして、汚れの種類と対処法を身につけておけば良かった。アパレルの店員さんにはコーディネートとか組み合わせの仕方より、洗濯の方法とかアイロンがけのコツとか教えてほしい。「洗濯した後シワになりやすいですか?」とか聞いても答えてもらえないと、ほんのちょっぴりガッカリしてしまう。

 

我が家は晩ご飯どき、ニュースを見ながらみんなで食べる。「通販の利用増で配達員が人手不足」というニュースを見た母に「よく使ってるもんね」と言われた。ほぼ毎日母が注文したものが届くので、私に言わせれば母の方がよっぽど使っている。自分のことを棚に上げてなにを、と思いつつ「ネットでしか買えないものだけ買ってるし、買うときはまとめて買うようにしている」と努めて冷静に答えたら「ふぅん」と言われ、その口ぶりに腹が立って「そんなこと言うならアンタの方がよっぽど使ってるじゃん」といらないことを言う。「そーお?」と言う母に、またイラッとするも、もうそこでやめた。

こうやって文章にしてみると実にくだらないけど、実はまだイラッとしている。「イライラ」ではなく「イラッ」。多分相手が母以外の人だったら、ここまでイラッとしていないと思う。私は母に対して、しょうもないことで自分でも信じられないぐらいイライラしたり怒ったりする。心当たりはあって、私が母を許せるようになるまで傍から見たらくだらないイライラごっこが続くんだろう。いろんなところで「許しましょう」とか言ってるの見るけど、その具体的なやり方を説明している人は一人も見たことなくて「言うだけなら楽だよな、きれいごとばっか言ってんじゃねぇよクソが」と内心ヘイトをむき出しにしている。聞かれてもいないのにえらそうなこと言う前にてめぇの生活どうにかしてろよ、と毎度思ってる。口が悪いなぁ。

漢字が読めない人が苦手です

難しい漢字も使わない、いわゆるキラキラネームでもない、いたって普通の名前なのに漢字を間違われることがある。義務教育を終えた人なら書けるのが当たり前の漢字なので、しょっちゅう間違われるわけではない。なので間違われると「え?」と余計驚いてしまう。もっと正直に言うと「おいおいそんな漢字も書けないのか…」といらない心配までしてしまう。われながら上から目線だなぁと思うけど、賞状に間違った名前を書かれた経験があるから許してほしい。相手に全くそんなつもりはないとわかっていても襲ってくる自分をないがしろにされた時のあのやるせなさ。怒る気力も湧いてこなければ言葉も完全に失いました。そのせいなのか、人の名前を書いたり打ったりするときは必要以上に神経をとがらせてしまう。「名前ぐらい」と言う人もいるだろうけど、名前は大事だと思う。

昔から漢字が書けない・読めない人、すらすら音読できない人を見ると胸のあたりがざわざわして落ち着かない気持ちになった。クラスに一人は簡単な漢字が読めなくて、聞いてるだけでは意味が理解できないぐらいつっかえつっかえの音読になる子がいた。その子が先生に音読をあてられるたび「代わりに読むから!」と言いたくなるぐらい、聞くのが苦しい音読だった。授業を受けていれば読めるはずの漢字なのに読めず、教室がしーんと静まり返るのが耐えられなかった。その子が漢字を読めないことに気づいているだろうに、なかなか先生が読み方を教えないのもなんだか嫌だった。今でも思い出すと息苦しくなる。

そのせいなのか、漢字に弱い人をどことなく遠ざけてしまうようになった。こんなこと書くと私がすごい漢字に強い人みたいだけど、漢字検定を受けたこともなければ読めない漢字もたくさんある。それを自覚しているからこそ、漢字に弱い人に対して上から目線みたくなってしまうことに罪悪感をおぼえて距離を置くのかもしれない。

2021.6/7 エヴァの感想が書けない

前から観よう観ようと思っていたエヴァの新劇場版を観るため、アマゾンプライムに入った。実はプロジェクターを買ったのも8割リングフィット、残り2割は寝っ転がって映画を観るためだったので、ようやくプロジェクターをフル活用できるようになった。アマゾンプライムに入会した後、プロジェクターにアマゾンプライムビデオのアプリを落とし、ログインするためアドレスとパスワードをリモコンでぽちぽち入力し(ここが一番大変だった。もっとサクッとログインできるようになったらいいのに)、ウォッチリストにあらかじめ登録しておいたエヴァを選択。ここまでで多分1時間ぐらいかかった。こうやって思い出しながら書いてもなんでこんなに時間がかかったのか自分でも不思議だ。でもとりあえず観れた。

初めてエヴァを観たのは高校生の時だった。テレビでアニメ版を一挙に放送すると知り、「ものすごい人気のアニメ」ということしか知らなくても、カルト的な人気なので充分興味をそそられた。案の定どハマりし、テレビアニメ版の最終回は途中で完全にだれてちんぷんかんぷんなまま終わってしまい、旧劇場版を観ても頭の中に「?」が残ったままだった。この「?」が残るからこそ、放送が終了して何年も経つのにいまだに人気なんだろう。定期的にテレビでピラミッド特集が組まれるのと同じだ。完全に理解できないものって考える余地が残されているから、あれこれ考えられて、それが人を惹きつけるんだと思う。

新劇場版を映画館で観たかどうかおぼえていなければ「Q」まで観たのかもおぼえていない。それなのにまだ観ようと思うのは、やっぱり謎が気になるからだ。といってもYouTubeで大量にあがっている考察動画を観たり評論家気取りの人が書いた記事を読んだりする気はなく、読解力も教養もない私のことなので、今公開されている完結編を観ても絶対に理解できないだろう。気にはなるけど、調べたり資料を詳細に見たりするほど知りたいわけでもなく、かといって他人からヒントや答えを与えられるのも気に食わないので「よくわからなかった」で終わるのも目に見えている。

それでも観ようと思うのは、前知識とか裏ネタを知らずに観た自分がなにを思うのか、なにに感動するのか、なにが心に残ったのかを知り、書き残しておくために観たいのだ。制作陣が持っているであろう「正解」と答え合わせをするためではない(といいつつ、それが「正解」か、「正解に限りなく近い独自の答え」であってほしいという思いもあるけれど)。

残念ながら「序」「破」まで観た私は感想どころかなんにも書けそうにない。アニメ版との違いやその違いが意味するもの、キャラクターの名前の由来といったおそらく考察動画で説明されているであろうことに気を取られて楽しめなかった。エヴァぐらい有名な作品になると、正解を教えてくれそうな考察や裏話、製作時のエピソードの類は歓迎されるけど、読解力も教養もなくオタクになれない個人の感想を書くなんて恐れ多い感がある。それこそ「誰も求めてない感想書くなんて、あんたバカァ?」と言われてもおかしくない。

映画の感想を書くためにこのブログを開設したのに全く書いていないのは、どの映画を見てもこんな調子になってしまうからだ。拙くてもいいから感想を書けるようになりたいと思いつつやっぱり書けないので、最近は映画を観ることを避けてるふしがある。多分子どもと大人の一番の違いってこういうところで、思ったこと・感じたことを素直に言えるのが子どもで、頭良く思われたいとかわかっている人に見られたいとかいう邪念に支配されて結局なにもできなくなるのが年くっただけの大人だと思う。素直な心、カムバック。

と嘆いていても素直な心はカムバックしないので、ひたすら映画を観ようと思う。エヴァの新劇場版完結編を観に行くまでになんとか取り戻して、自分の心で観れるようになりたい。誰かのためじゃない、自分自身の願いのために。

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ね、ミサトさん。KINGRECORDSチャンネルのYouTube動画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 EVANGELION:2.22 Promotion Reel」から