幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

漢字が読めない人が苦手です

難しい漢字も使わない、いわゆるキラキラネームでもない、いたって普通の名前なのに漢字を間違われることがある。義務教育を終えた人なら書けるのが当たり前の漢字なので、しょっちゅう間違われるわけではない。なので間違われると「え?」と余計驚いてしまう。もっと正直に言うと「おいおいそんな漢字も書けないのか…」といらない心配までしてしまう。われながら上から目線だなぁと思うけど、賞状に間違った名前を書かれた経験があるから許してほしい。相手に全くそんなつもりはないとわかっていても襲ってくる自分をないがしろにされた時のあのやるせなさ。怒る気力も湧いてこなければ言葉も完全に失いました。そのせいなのか、人の名前を書いたり打ったりするときは必要以上に神経をとがらせてしまう。「名前ぐらい」と言う人もいるだろうけど、名前は大事だと思う。

昔から漢字が書けない・読めない人、すらすら音読できない人を見ると胸のあたりがざわざわして落ち着かない気持ちになった。クラスに一人は簡単な漢字が読めなくて、聞いてるだけでは意味が理解できないぐらいつっかえつっかえの音読になる子がいた。その子が先生に音読をあてられるたび「代わりに読むから!」と言いたくなるぐらい、聞くのが苦しい音読だった。授業を受けていれば読めるはずの漢字なのに読めず、教室がしーんと静まり返るのが耐えられなかった。その子が漢字を読めないことに気づいているだろうに、なかなか先生が読み方を教えないのもなんだか嫌だった。今でも思い出すと息苦しくなる。

そのせいなのか、漢字に弱い人をどことなく遠ざけてしまうようになった。こんなこと書くと私がすごい漢字に強い人みたいだけど、漢字検定を受けたこともなければ読めない漢字もたくさんある。それを自覚しているからこそ、漢字に弱い人に対して上から目線みたくなってしまうことに罪悪感をおぼえて距離を置くのかもしれない。