幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

2021.1/4 「呪術廻戦0」観てきた

今日も呪術廻戦」の話。ひたすらアニメを見返す(主にナナミン登場シーン)、マンガを読み返す、を繰り返していたら正月休みが終わりました。マジです。正月休みの記憶、呪術廻戦」しかない。呪術廻戦100%。

完全に自分用のメモというか、思ったことを片っ端から書いていくので支離滅裂になるだろうし、ガンガンネタバレするので、嫌な人は回れ右〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず劇場版の話。1〜18巻までは読んだけど劇場版原作の0巻は未読。でも楽しめました。

もうナナミンが画面に登場するだけで「ナナミンだあぁぁぁ!!!」って表面上は静かに、内心は大興奮してました。ごめん乙骨くん、私ナナミン観に行ってた。もっかい黒閃のシーン見たい…冥冥さんとかナナミンが出てくるのって、劇場版限定のファンサービスなのかな?スタッフさん、ありがとう。本当にありがとう

あと予想以上にエヴァだった。乙骨くんの声、緒方さんだもんね。すごいシンジくんでした。同じ声優ネタでいったらミサトさんナタ振り回してました。とても楽しそうでした。大事なシーンでパロディもあったし、よくよく考えてみれば「自分の存在を許す」ってあらすじ、テレビアニメ版のエヴァ最終回よね。おめでとう!おめでとう!パチパチパチ。そういえばアニメの次回予告でもエヴァのパロディっぽいのあったな。好きなアニメがネタにされてるとより楽しめる。

映画は里香ちゃんを祓って終わったけど、マンガだと渋谷事変後に乙骨くんが「リカちゃん、やりすぎはダメだよ」ってさとしてたから、まだ一緒にいるんだよね?そこらへんわかんないけど、まぁそのうちわかるでしょう(適当)。

五条先生の例のセリフがないシーンは「さびしいよ」って言ってたんじゃないかと。唯一の友達がいなくなってずっとさびしかったから、乙骨くんに「一人はさびしいよ」って言ったんだと思う。五条先生って「さびしい」なんて感情と無縁そうだけど、学生時代を共に過ごして切磋琢磨した同級生はやっぱり特別なんだろうなぁ。五条先生っておちゃらけたりふざけたりはするけど、簡単に他人に心を許さない感じあるもんね。その唯一心を許してた友達を葬らなきゃいけない切なさよ…でも夏油の気持ちもわからないでもないっていう板挟み。苦しい。早く解放されたい。

とりあえず劇場版おもしろかったし、大画面ってやっぱりテンションブチアガるので、初ブチアゲは呪術廻戦0」でかましましょう。あと必ずもらえるかわからないけど、呪術廻戦0.5巻もらえたので(インタビューとか一問一答、マンガもちょっとある)、劇場に足運んでお金払ってスタッフさんに還元しましょう。

 

お次はマンガの話。昨日も書いたナナミンの「後は頼みます」について。

1回目に読んだときは「本当は他に言いたいことがあったけど、虎杖にとって呪いにならないよう最大限配慮した」と思ってました。けど今日あらためて読んで、「後は頼みます」が本当に言いたいことだったんじゃないかと。これを言うと虎杖は呪術師を辞められなくなってしまうし、ナナミンの死から逃げられなくなる。けど最初の真人戦で改造人間(元人間)を殺し、ナナミンを救った虎杖を一人前の呪術師と認めたことから、「虎杖になら言っても大丈夫」と判断した気がするんですよね。実際東堂と話して、虎杖は死んだナナミンの分まで苦しむ覚悟を決めて復活するわけですから。呪いどころか救済になってる。呪術師は、呪いはもちろん、呪われることも避けられない職業で、そのことをわかっていてとうの昔に覚悟を決めていた東堂だから虎杖を導けたんでしょうね。東堂マジありがとうマジブラザー。京都校どころか東京校の生徒からもすさまじく嫌われてる東堂。最初は私も嫌いだった東堂。今はただ、君に感謝を

ナナミンが「言ってはいけない」とためらったのは、おそらく灰原の死を理由に逃げた過去があったから。友達を助けられなかった自責の念もあっただろうし、戦意喪失状態になった虎杖のように、死んだ人の分まで生きる覚悟を決められなかったのもあったんでしょう。でも逃げるのが普通じゃない…?ましてや他人を第一に考えて行動するナナミンのことだから、逃げなきゃ精神崩壊してたと思う。「どこまでも他人のこと」って虎杖に呆れてたけど、すんごい長い時間かけて戻ってくるブーメランだったじゃん…!まんまナナミンのことじゃん…!!

そんなわけで「俺ナナミンの分までちゃんと苦しむよ」で泣きました。今日だけで3回は泣きました。今も確認するために見てうるうるきています。しかもその後追い打ちをかけるように三輪ちゃんとメカ丸のお別れが来るんだもん。もう読んでて「おおおぉぉん!!」って言葉しか出てこない。冷静になれない。

 

ちなみにアニメを繰り返し見た私のベスト・オブ・ナナミンは、真人戦後に倒れた虎杖視点からのナナミンです。グラサンしてるときも好きだけど、グラサンしてないとさらにイケメンでたまんねぇわ。でもグラサン越しに見える目も好き。やっぱ全部好き。全部ベストです。それではおやすみなさい。

007/ノー・タイム・トゥ・ダイ

いくらなんでも感想を書くのが遅すぎる。タイム・トゥ・ライトいつだったんだよ。映画が公開されてすぐ観に行ってすぐ感想をメモに殴り書きするまではいいのに、そのあとなかなか感想を書かない癖を直すのが来年の目標です…

 

というわけでダニエル・クレイグ主演の007シリーズ最終作。今回の007シリーズは全部観ましたがそれ以前のシリーズは未見。007に興味をもったきっかけはQ。そんな人の「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」の感想。

 

※以下ネタバレ注意

 

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ポスターもスタイリッシュ! 007公式サイトより

 

時代に即した007

まず何を一番に言いたいかって、

007で感動する日が来るとは思わなかったよね。

007は「アクション、カーチェイス、美女を楽しむ映画」だと思っているので、ストーリー面での期待は正直していなかったんです。でもね、ラストちょっとうるっときちゃったよ…*1

というのも派手にアクションかまして終わるんだろうなと思っていたのが、1作目「カジノ・ロワイヤル」でジェームズ・ボンドが心から愛した女性、ヴェスパー・リンドがかなり絡んでくるんです。本作のストーリをざっくり説明すると「ボンドがヴェスパーを失った過去を乗り越え、未来に向かって生きようとする」というお話で、今回の007シリーズのテーマは「ボンドが一人の女性を愛するまで」だったんじゃないかなぁ、と。他の007シリーズは観たことないですけど、ボンド=女は1回抱いたら終わり!ってイメージだったのでかなり意外だったし「時代だなぁ…」なんて思いました。「◯人斬り」でなく「一人の女性をどれだけ大事にできるか」が大事で、それができる男がかっこいいよねって考え方が、今の時代の価値観と合致しているなぁと。

ボンドの次に殺しのライセンス・00を授かったノーミが黒人女性というところにもすごく時代を感じました。人種差別問題への抗議は以前からあったけど、真っ先に思い浮かんだのはジョージ・フロイドさんの事件。映画の重要なポジションに黒人を起用したところに「Black Lives Matter」への賛同を感じずにはいられませんでした。差別発言をされたノーミの「Time to die(今がお前の死ぬ時だ)」からの反撃は最高にスカッとした

 

構図かっこよすぎしびれるぅ!

細菌研究所への侵入シーンと、序盤のカーチェイスがひと段落したときの構図が最高にかっこよかった。最近「構図かっこよかったらいい映画」って思いがちだし、かっこいい構図があればあるほど「映画館で観て良かった」って思う。

細菌研究所への侵入シーンは、画面の左半分にビルの壁、右半分に街のビル群が映っていて、左半分のビルの壁に街のビル群が反射しているんです。その美しい画面の真ん中に、研究所に侵入する部隊が上からすーって降りてくる不気味さが、いい…!「これから嫌なことが始まっちゃう」感がすごくいい。嫌なことが起こってくれないと007の出番ないから…!

イタリアの小さな街でボンドとサフィンの一味が車とバイクでカーチェイスを繰り広げて、広場に出たところで少し間があるんですよ、相手の出方をうかがう間が。その静けさが訪れた瞬間広場の鐘が鳴って、うひょ〜〜〜!!ってなりました。そんなタイミングで普通鐘鳴らないけどなるんですよ、007だから!もう構図の話は文章じゃ伝わらないからみんな映画館行こう!まだやってるから!※2021年12月5日現在(わざわざ公式サイト確認した)

 

やや疑問に思ったこと

あまり頭のよろしくない私でもさすがに「ん?」と思う部分がありまして。そのせいで映画がつまらなくなったってわけではないのですが、まぁこんな疑問もあったよってことで。銃が出てくる映画の登場人物は総じて至近距離から撃たれても弾が当たらない星のもとに生まれたと思ってるので、そこはツッコまない

本作の敵・サフィンは能面を着けてマドレーヌの家に行くわけですが、なんで能面だったのかなぁと。能面って嫉妬に狂った女性が狂気の果てに行き着く表情を表してるらしいので、それを男性であるサフィンが着けているのがちょっと気になりました。ちなみに般若が嫉妬に狂いまくってる時の顔で、それを経て能面に行き着くそうです。怖いよね。

マドレーヌの父に家族を殺されたサフィンだから、幸せそうなマドレーヌたちに嫉妬した、とも考えられるけど、インパクト重視で選んだのかな。能面がアップになるシーンはビビったしね。あれ子どもの頃に見たらトラウマになってた。

一番疑問だったのが、マドレーヌがそんなトラウマができた家に帰ったこと。誰よりも会いたくないサフィンが知っている場所に自分の大事な子どもを連れていくかなぁ。他に行く場所がなかったにしても、あの家よりは安全な気がする。それかボンドがわずかな手がかりをもとに自分たちを見つけに来てくれる可能性に賭けたか。母親が取る選択としては現実的でない気もするけど、まぁ、まぁ。

中盤あたりなんでサフィンがボンドの居場所を知っていたのかとか、サフィンがボンドに謝らせる理由とか、いろいろあるけど、いいんです、なんでもありえる007だから。007って「ドラえもん」みたく万能になんでも解決できる世界のお話だと思うんです。スタイリッシュにアドレナリンを噴出させる映画だと思うんです。だからいいんです。それに…

 

アナ・デ・アルマスちゃんの魅力大爆発

本作にちょっと出演するパロマことアナ・デ・アルマスちゃん。

もう〜〜かわいい〜〜〜!!

ブレードランナー2049」観た時も同じこと思った。今回はキューバの凄腕エージェント役。ボンドと落ち合った際「合言葉は?」と聞かれて「緊張して忘れちゃった☆」って素直に言っちゃうお茶目な女性(ここの場面うろ覚えなので違ってたら教えてください)。007シリーズに出てくる女性って「頭が切れるデキる美女」ってイメージがあるので、パロマちゃんはかなりめずらしいキャラクターな気がする。パロマちゃんのスピンオフ、作ってほしい…

キュートだけどその後の戦闘シーンでは華麗に敵をなぎ倒していく強さと度胸はしっかりあって、

完全にハート撃ち抜かれました。

www.youtube.com

どれだけキュートなのかは私の文章読むよりこの動画の0:34の笑顔を見てほしい。とびっきりにかわいいから。約束する。保証もする。

上にも書いたように007にはド派手なアクションを求めている私は、ボンドとパロマちゃんの共闘シーンにテンションブチ上がりました。最高!!!

*1:「泣ける」の一言でその映画の良さを表現するのだけはしたくないし、「泣けた=良い」とは思えないし、そもそも泣いてはいないので「泣けて良かった〜」なんて死んでも書くつもりはないのだけはわかっていただきたい

DUNE/デューン 砂の惑星

「天才」と名高いアレハンドロ・ホドロフスキーが映画化を目指したものの挫折し、誰もが一度は通るデヴィッド・リンチが映画化するも「失敗」と先のホドロフスキーに笑われた伝説のSF小説、「DUNE/デューン 砂の惑星」(以下「DUNE」)。その「DUNE」が再び映画化されると聞いた時「おぉ、やっちまうのか、あのいわくつきの小説を…」と嫌な悪寒が走った。「立て続けに映画化に失敗している小説をなにもまた映画化することないのに」と余計なことを考えながら調べてみると、監督は傑作「ブレードランナー2049」のドゥニ・ヴィルヌーヴ。「絶対やめとけ失敗するぞ」が「あ、観に行こう」に変わったのは言うまでもない。

原作は長編SF小説。長編小説を元にした映画は原作を読んでいないとついていけなくなるので、原作を読んでから観に行きました。SFにもともと興味がない・なじみがない私は原作をあまり楽しめなかったけれど、おおまかなあらすじと人物相関、登場人物を頭に入れた状態で観れたので良かった。理解力に自身がない人は原作を読んでから観るのがおすすめ。

※以下少々ネタバレあり

 

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「DUNE」公式サイトから

 

 

IMAXで観た感想

実は公開してからわりとすぐ観に行って感想を書いていまして。この記事のほとんどはその時書いたものです。なんで感想のアップがこれだけ遅れたのかというと、IMAXで観てからの感想も書くべきだと思ったから。

通常の映画館で充分楽しめたので、正直もう一度観に行くつもりはなかった。それが「IMAXで観ることを前提に撮られた」とどこかで知って「じゃあIMAXで観ないとな」となった次第。そして今日やっと観てきてまず言いたいこと。

絶対IMAXで観た方がいい。

同じ映画なのに別の映画かってぐらい違う。具体的に何が違うかというと、

・画面の大きさ

・迫力、臨場感

・映像の美しさ

の3点。砂漠を上から写しているだけでうっとりするほど美しい。見惚れる。普通の映画館で観たときはあんな感動しなかったと思う。

IMAXは音響もすごいらしいけど、正直「音響すげぇ!」とはなりませんでした。音のことわかんないもんで…でも「迫力、臨場感」はその音響あってのことかも。サンドワームがやってきて地表の砂が揺れるとことか、前に観たはずなのに鳥肌が立ちました。この「前に観たはずなのに迫力と感動が違う」現象が観ている間ずーっと続いていました。宇宙船が爆発するシーンなんて「え、あの宇宙船こんなデカかったの!?こんなデカい宇宙船が爆破されてるの!?」ってちょっとしたパニックになったぐらい。画面の大きさが違うと映されるものの大きさも違って見えるんですね。

夜明けの太陽が昇るシーンも、ちゃんと「眩しっ!」てなりましたもん。夜明け前の暗さもすごくリアルで、これも普通の映画館で観た時は「リアルだなぁ」なんて思わなかった気がする。あんな迫力のある映像を2時間半もぶっ続けで浴びると、頭ぼーっとしてまともにもの考えられなくなります。大人になると大抵のことを経験して、大体のものを見てきたから、「初めて」とか「新鮮な体験」とか縁遠くなるんですけど、映像で脳をぶん殴られる経験ができて良かったです。IMAXで初めて観た映画が「DUNE」で良かった。今日観てきたばっかなのに、もう「また観たい」ってなってるもん。

そんなわけなので、

IMAXで観ましょう。

ちょっと高いけど、2時間半も未知の映像体験できるなら安いぐらいです。大画面でティモシー・シャラメの顔面を堪能できるだけでお釣りがじゃらじゃら返ってくるので、IMAXで観ましょう。

 

原作に忠実な映像

『DUNE』のあの世界を忠実に映像化してる…!」という驚きと感嘆で胸がいっぱいになりました。あらすじも原作に忠実だし、わりと序盤から「絶対変なことにはならない」という安心感が漂っていました。原作がある映画でこういう安心感があるの、すごい。

SFなので現実にはないものや実際にはありえない状況ばかり出てくるんですけど、それが映像化されていてすっごく楽しかったです。コンパスに「カッコイイ!」って感激したことあります?あの方角を示すコンパス。この映画見たら感激できますよ、コンパスに。出てくるものがいちいちスタイリッシュ。こういう現実にないものが出てくる映像がSF特有のおもしろさなんですかね。SFにハマる人の気持ちがわかる気がする。

そして現実にないはずのものでデザインがスタイリッシュなのに、「実際に存在していたら同じ構造でこういう風に動くんだろうな」という説得力がある。映画冒頭に出てくる、皇帝の使いが乗っている丸い宇宙船なんてデザインだけ見たら宇宙船に見えない。なのに、着陸するときにその丸いボディには似つかわしくないゴツい足が出てきた途端「遠い星から飛んできた宇宙船」としてリアルに映るんですよ。羽ばたき飛行機(オーニソプター)の羽も実際には見たことのない動き方をするんですけど、どことなく虫に似ているからかあの羽の動きで飛ぶのをおかしいと思わないんですよ。

光と影のコントラストが強かったのも良かったです。「2001年宇宙の旅」の映像が好きな人は「くぅ〜!」ってなると思う。私はなった。構図もいちいちカッコイイ。いちいちしびれる。「ブレードランナー2049」観た時も思ったけど、いちいち美しいのよ。好きです。

壮大で宗教的な雰囲気漂う音楽もぴったりでした。ラストも音楽で最高に気分を盛り上げたところで暗転するもんだから「続きが観たい!!今!すぐ!NOW!!!」ってなります。次回作が待ち切れないよぉ!

 

バトルシーンがかっこよすぎるのよ

宇宙の支配権を争う話なので、バトルシーンもちょいちょいあり。「あの世界をどう映像化しているんだろう?」が何より気になっていたので、正直バトルシーンの出来は気にしていなかったんですけど、これもまー良かった!「DUNE」の世界では「シールド」という体に薄いバリアを張り巡らせて戦うのですが、「そうそうコレ!こういうの想像してた!」という再現度の高さでものすごい興奮しました。シールドのスイッチを入れた時の音とか、攻撃された時のブレとか、全てが完璧。

一番スピード感があったのが主人公・ポールと家臣・ガーニイの鍛錬シーン。「自分たちがここまで鍛え上げた」という自負があるからこそ、相手の戦闘技術を信頼しているからこそのバトルスピードでもう最高!映画ならではの表現!

それを見せられてからのサーダカー対ダンカンのバトルシーンは、ポールとアトレイデス家家臣の強さをクッキリと浮き立たせていて「あれ?サーダカー弱くね?」と思うぐらい。サーダカー、一応「宇宙最強の兵士軍団」って設定ですけどね。1対大勢だから一気に攻めればいいのに、1対1になるように戦っている相手の後ろで待っている感じがしてちょっと気になったり…決してケチをつけたいわけじゃないんだけど、どうしても気になった…

※上のバトルシーンの感想は1回観た時のもの。2回目観た時はなぜか迫力あるように見えて、サーダカーもちゃんと強そうでした。これがIMAX効果…

SF映画のバトルシーンというと、光る剣をぶんぶん振り回したり、宇宙のエネルギーを集めて銃で発射したり、というのを思い浮かべがちだけど、この映画では体張ったバトルシーンばかりです。宇宙船で撃ち合うのもカッコイイけど、結局は拳の強さがものをいう泥臭さ、好き。「紅の豚」の飛行機の撃ち合いからのボロボロの殴り合いが好きな人は刺さると思う。家臣のガーニイが「俺に続け!」と部下たちに言うシーンなんて「私も続くぅ!」ってなったもん

 

小説から映画への変換

「普通は気付けない表情の動きや言い方から、相手の考えていることや言わんとしていることがわかる」という、ちょっとした特殊能力を持っている登場人物が複数いまして。原作だと「今の言い方は○○の意思表示だな」とかいちいち書いていて、くどいくらい説明的。原作では言葉で説明されている部分をどう映像化しているのかも楽しみでした。物語を理解するのに支障はない程度に、映画の展開を損なわないスピード感を保つようにカットされていて、「映画は映像だからセリフで説明しないでほしい」と思っている私は大歓喜でした。「あの時あの人はこう考えていて、だから今こうしているんだ!」みたいな説明的なセリフ、大嫌いなんですよ…「すごくわかりやすく説明されてる」感がすごくて「なんのために映画にしたんだろう…」って冷めちゃうんですよ…

力関係も非常にコンパクトな説明におさめられていて、すんなり話に入れました。アトレイデス家にアラキスが与えられた理由とか原作よりもわかりやすかった。原作でよく理解できなかった部分を手助けしてくれる親切な映画です。

原作が長いゆえ、どうしても仕方ないことなんですが。「映画を観ている」というより「原作を映像でなぞっている」感が強かったです。原作の大事なシーンを映像で再現してそれをつなげているというか。

登場人物も多く、映画の都合上展開が早かったのも「原作を映像でなぞっている」感が強かった要因の一つかと。長編映画の1部にして登場人物が何人か死ぬんですが、登場してから死ぬまでの時間が短く、原作読んでなかったら「なんかよくわかんないうちに死んじゃった」って感想になってたと思う。仕方ないんだけどね、登場人物全員にスポットライト当ててたら時間がいくらあっても足りないから。だから一部のキャラクターに絞っていたのはとても良かったと思います。アトレイデス家家臣の忠誠心とポールの能力も同時に表せていたし。

 

ステラン・クセ強いおじさんと宇宙の奇跡級の美男子

映画の前知識が「主演はティモシー・シャラメ」のみだったので、アトレイデス家の宿敵・ハルコンネン男爵がステラン・スカルスガルドだったのは嬉しい驚きでした。ステランが出ている映画は2作しか観たことないんですけど、高齢童貞おじさん、ド変態の殺人鬼というクセがありすぎる役ばかりなんですよね…でもそれがまた似合うという…ステラン・ハルコンネン男爵、いいと思います。途中、油まみれになってましたね。ああいうシーンになるとなぜか一緒に息を止めたくなる。

あとはなんといってもティモシー・シャラメの顔面の美しさ。SFに興味なかったり途中で話についていけなくなった人はティモシー・シャラメの顔面見てればいいと思う。あの顔面だけで心洗われる2時間半を過ごせるよ。

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 大人になることを許された子どもたち

これまで公開されていたエヴァの劇場版完結編がアップデートされたという。なかなか観に行く決意ができなかったけれど、「3.0+1.0」と副題が改められたタイミングで観に行くのがいい気がした。というのは建前で、特典商法に引っかかっただけです。すいませんカッコつけました。でも観に行くきっかけができて良かった。

完結編を観ることは「終わり」を受け入れることで、エヴァ世代ど真ん中でもなければたいそうな考察をしたこともないくせに、「終わり」を迎えてしまうのがなんだかもったいなくてずるずる先延ばしにしていた。でもまぁとにかく観てきたので、感想書きます。TVアニメ版、旧劇場版( Air/まごころをを、君に)は鑑賞済み、用語はキリスト教と関係があるらしいぐらいの知識しかないので、深い考察とか解説は一切ないです。

アスカの名前や新キャラ・マリちゃんなどの設定から、TVアニメ版、旧劇場版と地続きではなく「旧作とはいろんなことが少し変わった世界のエヴァ」として観ています。

※以下ネタバレ注意

 

 

 

 

 

公開当時、「隣の席の人が泣いていた」とか「劇場内で鼻をすする音がしていた」といった感想を見た。上にも書いた通り私はさほど熱心なエヴァファンではないので、泣きたくても泣けないだろうなぁと思っていた。それでも冒頭の「これまでのエヴァンゲリオン」で「あぁ、本当に終わってしまうんだなぁ」と涙が出そうになって自分でも驚いた。熱心なファンではないけど、Amazonプライムでこれまでの劇場版を観ていたし、ここ最近のBGMは宇多田ヒカルの「Beautiful World」だったことを考えると、私にとって影響力がある作品なのは間違いない。

余談だが宇多田ヒカルを最もすごいと思ったのは「Beautiful World」を初めて聴いた時だった。「エヴァにここまでぴったりな曲を、しかもファンである宇多田ヒカルが作ったなんて…!」とにわかには信じられなかった。「天才」とかそういう次元を超えている、と初めて人に対して思いました。余談終わり。

 

映画を観ている間「お前らもいい加減大人になれよ」と言われている気がして、あまり自信はないけど本作のテーマは「卒業」だと思ってる。その上での感想です。

「Q」エヴァパイロットの見た目が変わらない理由は「エヴァの呪縛」と説明された。本作ではアスカは、まともな食事をとらなくても眠らなくても生きていける体になってしまったことが明らかになる。アスカだけなのか、エヴァに乗るといずれそうなってしまうのかは説明されなかったけど、これも「エヴァの呪縛」じゃないかと。見た目は14歳の人間でも、もう人と呼べる域にいない。アスカが自分と区別するように一般人を「リリン」と呼ぶのも、「あなたのことが好きだったけど、私の方が先に大人になっちゃった」とシンジくんに言うのも、見た目と中身がともなわない歯がゆさと切なさがにじむ。

人類補完計画を意地でも完遂しようとするゲンドウを、北上ミドリ(ピンク色の髪の女の子)は「エゴじゃん」と一蹴する。まったくその通りで、エヴァの登場人物も関係者もファンも、ゲンドウのエゴに25年間振り回されてきたといっていい。ゲンドウのセリフが少なかった旧作とちがって、本作ではなんとゲンドウの独白シーンがある。親との関係、周りの人間と関わりを持たないよう生きてきた子ども時代、ユイとの出会い、初めて知った本当の孤独。ゲンドウがシンジくんとまともな親子関係を築けなかったのは、「親から愛されていない」からだけでなく、シンジくんに自分のことを理解してほしかったからでは。「ユイに会いたい」というシンプルな願いに反して、ずいぶん複雑な道のりになったことを考えても、「不器用」の代名詞はもはや高倉健より碇ゲンドウの方がふさわしい。でもその不器用さのおかげでエヴァが生まれたと思うと、ケンスケじゃないけど悪いことばかりじゃないね。

すべて理解できていないし、すべて理解できる日が来るとも思えなければ、「Q」との矛盾が気になったシーンもあった。それでも、エヴァファンが最後に見たいと思っていたであろうもの、旧作より少し幸せになったみんなが見れて、私は満足です。

初号機に乗るシンジくん

おなじみの髪型のミサトさん

シンジくんに再会できた二人目の綾波

幸せになったトウジ

母親とゲンドウに縛られていないリツ子さん

生きてお別れを言えた加持さんとミサトさん

アスカは安らげる場所を見つけられた、と思いたいけど、どうなんだろうなぁ。少なくとも旧劇場版より幸せになっているのは確か。

旧劇場版で「他人と生きる」と決意しても、やっぱり他人が怖いからかアスカの首を絞めたシンジくんが、アスカの行動の真意を理解したり、ゲンドウに「父さん、話をしよう」と歩み寄ったり、旧作より他人に対して一歩前に進んだように見えた。これまで三歩進んで二歩下がってた、「三百六十五歩のマーチ」を地で行くシンジくんの一歩。

シンジくんはTVアニメ版で「僕はここにいていいんだ」と自身が存在することをようやく許し、旧劇場版で他人と自分の境も苦しみもない世界を拒絶し、たとえ苦しくても個人として他人と生きることを選んだ。どれも彼の自問自答や意志による結末で、「責任」は問われない。本作でシンジくんは、故意ではないにせよニアサードインパクトを起こしてしまった落とし前をつけるため、もう一度エヴァに乗る決意をする。辛い現実から目をそむけず、周りの人の思いを背負って責任を果たそうとするその姿を「大人」と呼ばずしてなんと呼ぶか。

思えばTVアニメが放送されてからの25年間、シンジくんたちは14歳の姿のままだった。アニメと現実の時間は違うから当たり前だけど、シンジくんたちはずっと大人になることを許されず、思春期の難しくて恥ずかしい時期の中に強制的に置かれていた。本作のラストでエヴァの呪いから解放され、少し成長したシンジくんの姿に「おめでとう」とか「お疲れ様」と言う時の気持ちに似ているけど、その一言では片付けられない感情が湧いた。少しの寂しさもあった。

シンジくんは大人になった。だから私たちも、いくら素晴らしい作品であっても、いつまでも25年前のアニメに固執しているわけにはいかないのだ。とてもありきたりな言葉で月並みだけど、やっぱりこれ以外にふさわしい言葉が見つからない。

今までありがとう。いってらっしゃい。

フロリダ・プロジェクト(The Florida Project)

※ネタバレあり

 

 

 

 

 

 

ディズニー・ワールドの隣の安モーテル、マジック・キャッスルでその日暮らしをする女の子ムーニーとその母親ヘイリー。

全身タトゥーとピアスだらけ、教養なし、態度悪しと三拍子揃ったヘイリーは、仕事も紹介してもらえずいつもお金を必要としている。そんなヘイリーがお金を稼ぐ方法なんて限られている。楽しかった日々は終わりへと向かい、予想通り母娘は行き場がなくなっていく。

ヘイリーはどう見ても“底辺”と呼ばれる層に属する人間だ。だがどんなに追いつめられてもムーニーに当たったり怒ったりしない。母親として精一杯ムーニーを守っている、そうとはわからないように。

ムーニーは「大人が泣くときわかるんだ」と言う。まだわからなくていいことをわかってしまうムーニーの言葉に、どんな顔をしていいかわからなくなる。

中盤からムーニーは大音量の音楽が流れるお風呂場で遊ぶようになる。カメラはムーニーの視点と同じ高さに据えられていて、どうして一人で遊んでいるのか、大音量で音楽が流れているのかわからない。突然シャワーカーテンが引かれ男がヘイリーに文句を言う声が聞こえてくる。これが一番キツかった。何が起こっているのかも、大人に守られていることも知らずに子どもは楽しく遊ぶ。いずれ成長し自力で生きていかなければならなくなったとき、子どもたちは自分を守る方法を誰かから教えてもらっているだろうか?

 

ウィレム・デフォー演じるモーテルの管理人・ボビーも良かった。

彼自身の事情ははっきり描かれないものの、順調と言えないことだけは確かだ。

モーテルで暮らす子どもたちをなんとかしたいと思っている、でも自分はあくまでも「管理人」であって「親」ではない。できることは限られているし教育を受けさせてやることもできないけど、危険な目にだけは合わせまいと目を光らせている。

 ボビーが「管理人」や「父親」としての限界を感じているであろう時、彼の顔ではなく背中が映される。子どもがいない場面でも、徹底して決定的な場面を映さない。

大人は決定的な場面を見せられなくても察するが、子どもはそうじゃない。

 

ラスト、ムーニーは自分のすぐそばにあった“夢”を目の当たりにする。みんなが求める”夢”は、安モーテルでの日々を心から楽しむムーニーの目にどう映っただろう。

 

重い内容とは裏腹に、パステルカラーの映像が観ていて楽しい気持ちにさせてくれる。それが何より怖かった。

紙の月

ここ最近、邦画をよく観るようになった。

洋画だと字幕ばかり読んでしまって肝心の映像にあまり集中できないという情けない理由もある。

正直邦画に対するイメージが「名作もあるけど9割マンガ原作の駄作」だったのだけど、全然そんなことない、おもしろそう!という映画をよく見かけるようになった。

今回の「紙の月」も期待以上のおもしろさだった。

 

 

 

主人公・梅澤梨花は自分に自信がない。他人から認められたい・必要とされたいと思っている。自尊心が決定的に欠けていて、なにをしても満たされない。

一見大人しそうで夫にも従順、ノーと言うことができない。だが他人に認められるためならあっさり顧客のお金に手をつけてしまう。

彼女が横領に走るときのノイズのような音も良かった。

「ちょっとぐらいいいよね」「バレないよね」

そんな言葉が頭に浮かんでいる時、血液はこんな音を立てながら体内を走っているのかもしれない。

把握できないほどの金額を使っても彼女は満たされない。彼女が欲しかったものはお金じゃないのだ。

 

大島優子の演技が自然で驚いた。見るからにイマドキでかわいくて、要領も良くしたたかな女の子の表情、リアクションをすんなり引き出していた。AKBを卒業してからあまり見ていない気がするが、他の役をどのように演じるのか興味が湧いた。

小林聡美の演技もよかった。

かもめ食堂」や化粧品のCMからのほほんとしたイメージを抱いていたが、自分にも他人にも厳しい役を頭のてっぺんからつま先まで演じきっていた。

正論を言うけれど偉ぶらず、仕事に対する姿勢もぶれず媚びは売らず、おかしいと思ったら相手が上司であれもの申す。

目は鋭く、刺々しさはないが周りを緊張させる口調に「カッコイイけど自分の上司だったらしんどいな〜…」なんて思うぐらいリアルだった。

そんな厳しい彼女は徹夜をしてみたいと言う。

「したことないの。翌日に響くから」

なんとも彼女らしい理由だ。同じく梨花も徹夜をしたことがないと言う。

終盤の梨花と隅の会話はとてもいい。人が本当に自由になれるのは頭の中だけだと思い知らせてくれる。生きている以上、何かしら縛られ制限される。幸せもいつかは必ず終わる。それが当たり前の世界なのだ。だが梨花はそんな世界に思い切り風穴を開けてくれる。その抵抗は清々しく、爽快だった。

 

エンディング・テーマも良い。曲名は「Femme Fatale」。 正に梨花のことだ。

映画の本編とは関係ないが、おぉ!と思った演出があったので書き記しておきたい。

終盤、隅が話している最中梨花が言葉をかぶせてくるシーンがある。隅は驚きながらも口の中でモゴモゴ言葉を続けるが聞き取れない。

セリフにセリフをかぶせる時、かぶせられた方が相手がかぶせてくる直前に不自然に言葉を切ることが少し前から気にかかっていた。実際にはかぶせられた後、少し言葉が続くはずだ。

こういう細かい演出がされている映画を観ると、嬉しくなる。

白ゆき姫殺人事件

Amazonプライムに入会してからというもの、気になっていた映画を家から一歩も出ずに見られるようになって嬉しい。

「映画はスクリーンで観ないと観たことにならない」と今でも思っているけど、もうしょうがないかな…と自分の怠惰に白旗をガンガン振っている。

「気になるけど借りるほどじゃないんだよなぁ…」という映画を気軽に見られるのも嬉しい。

今回観た「白ゆき姫殺人事件」も気になるけど借りるほどじゃない映画のうちの1つで、正直あまり期待せずに観始めたのだがこれがおもしろかった!

 

※以下ネタバレ含みます

 

 

美人OLが惨殺され、事件後行方をくらましている被害者同僚・城野美姫に疑惑の目が向けられる。

城野が犯人かどうかわからないうちから、彼女のイメージの断片が誰にも止められない速さで拡散され犯人に仕立て上げられていく様は恐ろしかった。

ネットの利点として匿名で情報発信できる点が挙げられる。匿名という盾はとても心強いように思えるが、何がきっかけで壊れるかわからない。投稿が炎上し、投稿者の本名、顔写真、学歴があっという間に明かされた例は枚挙にいとまがない。

拡散を速めるのは情報の正誤ではなくゴシップ性だ。どれだけ楽しませてくれるか、おもしろおかしい気持ちにさせてくれるか。この映画のように、被害者が赤の他人であれば殺人事件さえエンターテイメントになるのだ。「かわいそう」と画面を見つめる瞳の奥には好奇心の炎がめらめら燃えている。

 

城野含め「いるいる」と頷きそうになるぐらいリアルな登場人物も良かった。

女が女をバカにする時の一目ではそうとわからない蔑み、相手を思っているように見せながら一番相手の嫌がることをする陰湿さ。「嫌がらせだと思ってしまう私が悪いのか?」と思わせる線引きが絶妙でとにかくうまい。自分は悪者にならずに相手を悪者にする術を心得ている。

城野の知人による証言の再現映像も、証言者によって細かく異なるのもおもしろい。城野が妄想好きと判明した後では、城野の手記もどこまで真実か疑わしい。何が真実かなんて、最早当事者にもわからないのだ。みんな自分の見たいように物事を見て、信じたいものだけ信じているのだ。

終盤「身勝手な容疑者」という言葉が出てくる。ワイドショーの製作陣、出演者、ネットでつぶやく匿名に守られた人々も、言わずもがな身勝手だ。だがその身勝手な評価に踊らされているのも、同じ身勝手な人々だ。散々好き勝手言っておきながら少し時間が経てばカンタンに忘れるのだ。城野に会っても気づかなかった赤星のように。