幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

寝れば寝るほどしんどくなる休日

朝目が覚めるといつも起きようか迷う。いつかは起きなきゃいけないけど、仕事がない日は何も予定がないので別に起きなくても支障はない。でも起きて何かしないともったいない気がする。布団の上でゴロゴロしながらゲームしたりスマホいじったりするのは好きだけど、そうしているとそのうち二度寝してしまうので、ただ布団の上に寝転がったまま起きようかどうしようか考えるだけの無益な時間を過ごす。こうしているだけで二度寝してしまう時もある、というか大体いつもそうなんだけど。午前中は一番集中力が増す時間らしいし、実際勉強してみたらいつもより頭がクリアな状態で勉強できた気がしたので、本当なんだと思う。それをわかっていても「起きよう」と思えないのは、私にそんなにやりたいことがないからだろう。やろうか迷っていることがあって、その「やりたい」という度合いを測りたい時は、朝目が覚めてすぐに布団から出られるかどうかを試してみたらいい。

今日でプログラミングのHTML編の動画見終えそうだし、いろいろ調べたいこともあるし、とりあえず起きようかな、とやっと起き上がる。部屋から出ようとドアノブを手前に引くも、木材でできたドアが湿気のせいで少しふくらんでいて、うんと力をこめないと開かない。これだけのことにイライラする。昨日からずいぶん些細なことでイライラしてしまう。確かな原因はわからないけど、生理前と低気圧のせいだと思う。そういう時期だから仕方がない、私は悪くない。そう開き直らないとやってられない。頭の中なら何をどう考えたっていいと思う。

食欲がなかったのでプロテインだけ飲んでパソコンの前に座る。雨が降る度ドアが開かなくなる部屋なんてごめんだ、ソーシャルアパートメントについて調べ始める。シェアハウスよりプライベート空間が確保されていて、でも一人暮らしするよりは家賃は安いらしい。初期費用も計算してみたら一人暮らしするよりぐっと安かった。なんなら今すぐにでも引っ越せる。これなら来月にでも引っ越そうかと思ったが、部屋にトイレ・お風呂・キッチンはついていないと知って諦めた。少し潔癖なのか、他人と水回りを共有するのは避けたい。それに食事の度に人と顔を合わすのは、人との食事を苦痛にしか思えない私にとってしんどすぎる。テキトーなものしか作らないのも見られたくないし。

自分の部屋で借りてきた本を読む。phaさんの「がんばらない練習」だ。あとがきの「自分の欠点が自分らしさと人生をつくっている」という文がなんとなく頭に残っている。本を読み終えたら、少しお腹がすいてきた気がするので何を食べようか考える。こないだ買ってきたアボカドが半分残っているから、それとエビを使ったそうめんにしようとレシピを検索するも、読むのすらだるくてテキトーでいいか、と台所に向かう。アボカドは熟している食べごろのものと思って買ったが、買った日はまだ食べるには早かった。今日はどうだろう、と皮から身をはがすとまだ早かったと知る。でももうメニューを考え直すのもめんどくさいし、変色するのもイヤなので食べてしまうことにする。アボカドの種を取ろうと包丁の根元を差し込んだら種が割れてしまい、それだけでまたイライラする。小声で文句を言いつつも種を取り、オリーブオイルで冷凍エビとアボカドを炒める。味に期待できない料理を作るなんて何してるんだろうと思う。組み合わせは最高なのに。

そんな気持ちで作ったから、塩の味しかしないものができあがった。食べられない味ではなかったけど、そこまで食欲もないのに無理することないとラップをかけて冷蔵庫にしまった。自分が食べたくないものを他の人に食べてもらえるのは、実家暮らしのいいところだ。どうにもイライラがおさまらないので、近くのコンビニにでも行こうと家を出た。日焼け止めを塗り忘れたけど、どうでもいい。

お腹がすいているのに何を見ても食べる気がしない、というのが数年前から続いている。でも何か食べないといけないので、妥協して選んだものをもそもそ食べる、ということを続けてきた。それでもこの数年の間に「これは食べたい!」「すっごくおいしい!」という発見と感動もあったので、別に深刻なことじゃないんだと思う。こうなる前に比べると食事があまり好きではなくなっちゃったけど。

どうせ食べたいものなんて売ってないだろうという予想は、冷凍ケースの前で見事に裏切られた。中には冷凍チャーハンがあった。いつでもおいしくて、簡単に食べられて、自分じゃ絶対作れない味。この世に冷凍チャーハンがあって良かった。1食分になっている小袋(どこまでも親切!)を持ってレジに行く。電子マネーで支払いを済ませ、袋はもらわず手に持って家に帰った。なんだか万引きしたみたいだ。でも食べたいものが見つかったおかげで、少し気分が良くなった。家に帰って袋の中身を皿にあけ、袋に表記されている通りのワット数と時間で温める。家に帰ってくる途中でやや解凍された米粒が袋の中にへばりついていて、少しイラついたがこの後おいしいチャーハンを食べられるんだから、とガマンできた。予想通りの味であることに安心する。しばらく食事は冷凍チャーハンだけでいい。ちょっと本気でそう思う。簡単だし安いし。

冷凍食品が大好きなので、本当はお得な大袋を買っておきたいのだけど、うちの冷蔵庫はなぜかいつも中身がパンパンに詰まっているので、買い置きしておくのがはばかられる。いつ使うのか、そもそも使うのかわからないものばかりなのがまたイラつく。こういう小さな不満がたまっているから、ちょっとしたことで母にイラついたり激昂したりしてしまうのだろうか。だとしたら母にも原因はあると思う。さんざん父にも言われているんだし。

お昼の後はあつ森をやった。毎日イベントがあるわけでもないのに、毎日何かしらあるのが不思議なゲームだと思う。ゲーム中に睡魔に襲われたので眠ることにする。お昼過ぎはいつもこうだ。夜寝るよりお昼に寝た方が熟睡できている気がする。起きてからしばらく経つとだるくなってくるけど。この熟睡感を夜にもってこれたらいいのにといつも思う。

 

正しい休日の過ごし方があるとしたら、目覚ましをセットして午前中に起きて、朝のうちに一番難しくて頭を使う用事を片付けて、お昼に栄養のバランスが取れた食事を作って食べて、ゲームと読書をして夜の睡眠に影響がないよう目覚ましをセットしてから昼寝して、家族みんなで食卓を囲んで夕飯を食べる、というのがそれだろう。頭ではわかっていても実行できないのは、そんなキッチリした生活なんて効率良くても息苦しいし全然楽しくなさそうだと思ってるからだ。かといって、今日みたいにだらだら過ごせば幸せなのかというと全然そんなことはない。昼寝から目覚めて数時間経つ今、体のだるさはピークに達しているし、やろうと思っていた勉強も全然できていないからちょっと自己嫌悪に陥ってもいる。

 

母から「ご飯できたよ」とLINEが来た。毎年この時期は食欲が落ちるので晩御飯はいらないと伝えているのだけど、それでも毎日律儀に連絡してくる。すごくありがたいことだと頭ではわかっているのに、うっとうしいという気持ちも湧いてくる。人にご飯を作ってもらうのが苦手かもしれない、と思い始めたのはつい最近だ。「作ってもらった」と思うと、「おいしい」と言いながらさもおいしそうに、残さず全部きれいに食べなきゃいけない気がしてプレッシャーを感じる。必要な栄養を摂取できるサプリとかあればいいのにな。