幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

私の幸せ 「常識」なんて無視して良かった

生きていく上で「自分はどんな時に幸せと思うか」は知っていた方がいい。

世間一般でいわれている「幸せ」と個人の「幸せ」は必ずしも一致しないし、自分にとっての幸せを知っていないと、世間一般の感覚に流され、選択を誤り、お金や時間や労力をムダにしてしまうこともある。ここ数年、選択を誤り続け、膨大な時間とお金と労力をムダにした私が身をもって知ったことだ。

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当たり前だが、もうこんな間違いは二度と犯したくない。そのために、私はどんな時に幸せと思うのか、思いついたり気づいたりしたことがあれば、都度書いていこうと思う。

今回はそんな私の幸せについての記事、記念すべき1本目。

 

 

ここ最近、少し前には考えられなかったような、ぐうたらな毎日をおくっている。

仕事がない日は目覚ましをかけず、好きな時間に起きてあつ森をやり、飽きたらスマホをいじり、それにも飽きたら二度寝するかやっと起きる。朝ご飯を食べて着替え、パソコンの前に一直線。YouTubeを見たりブログを書いたりいろんなサイトをうろうろしたり、飽きたら本を読み、人と連絡を取ることはない。

昨日か今日、ふと「小学生の時の夏休みみたいだな」と思った。違いと言えば、あの頃はYouTubeなんてなかったし、いつでもネットに接続できたわけでも自分専用のパソコンがあったわけでもないから、代わりにテレビを見ていたぐらい。

大人になってからこんな毎日をおくるなんて思っていなかったけど、この生活をおくるようになってから必要以上に自分を責めたり、他人と自分を比べて落ち込んだり、「アレやらなきゃコレやらなきゃ」と焦ったりしなくなった。とても快適だ。死ぬまでこうやって過ごせたらもう他に何もいらない気さえしている。

 

こんな生活をおくるようになった一番の原因は、新型コロナウイルスと、自分の気持ちに正直になれたことだ。

新型コロナウイルスの影響で在宅勤務&恐らく一人暮らしの人に優先的に仕事を振っているらしく、私の仕事量減少にともなって勤務時間も減少した。その分収入も減るのだけど、今一番やりたいことが「何もしない」の私にとってはありがたいことこの上ない。お金もなんとかなってるし。

「自分の気持ちに正直になれた」というのは、理想とする人物像に近づくために努力するとか、仕事を楽しみながらバリバリこなして稼ぐとか、クライアントに頼られる人間になるとか、そういった「理想」は自分が心から望んでいなかったことだと認められた、という意味だ。

前は「がんばる・努力する」は社会人として当たり前の姿勢だと思っていたし、現役の第一線として活躍するには必要なことだと今でも思っている。でも私には勉強し続けたいほど好きなことも極めたいこともないし、それより「ラクして毎日のんびり過ごしたい」と思っていることをようやく認められた。「ラクして毎日のんびり過ごしたい」とは、つまり冒頭に書いたような「ぐうたらな毎日」をおくることで、それは一般的には「よろしくない」とされているものだ。私がこれだけのことを認めるのに、長い時間(と笑えないぐらい膨大なお金)がかかってしまったのは、世間一般の「常識」にしばられていたからだ。そんなもの最初から無視して「私はこうしたい」と素直に認められていれば、もっと早くこんなぐうたらな毎日をおくれたかもしれないのに、もったいないことをした。

 

まぁこの経験から導きだした答えは

 

「常識」にしばられず流されず、自分の心と直感に従おう

 

である。

 

 

さて、ぐうたらな毎日をおくるうち、前に比べて皿洗いを厭わず自炊をするようになった、という嬉しい変化があった。前は「食べたい」と思っても「めんどくさい」が勝ってインスタントラーメンとかで済ましていたけど、最近は「食べたい」が上回るようになった。

今日なんかベーコンとチーズのパスタが食べたくて、ベーコンがなかったからわざわざコンビニまで買いに行った。セブンイレブンのベーコンめっちゃうまい。

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(これでも)いい感じに盛りつけられたので、めずらしくパシャリ

「ご飯をおいしく食べられる」って、幸せかどうかの重要なバロメーターの一つだと思う。