前の仕事を辞めて実家に戻ってきてわりとすぐの頃だった。
お風呂から上がると父親が母親に怒鳴っているような声が聞こえた。我が家ではわりと日常茶飯事なので、あまり気にしないで体をふいていたが、どうも私に関することで話しているらしかった。
実家の脱衣所はリビングと壁をはさんで隣合っているので、一字一句は無理でも何の話をしているのかぐらいはわかる。
壁の向こうから聞き取れたのは
「お前が甘やかさなければ◯◯(私)はもっといいところに行けた」
という言葉だった。
「いいところ」が学校なのか会社なのか、何を指しているのかはわからない。でも父親が私を残念に思っていることはなんとなく気づいていたので、それほど意外ではなかった。
ある特定分野に関する学部がある大学に行かせてもらい、院まで行った。なのにその分野とは全く違う分野の職に就き、在学中から研究も勉強もしていない。進学費を出してくれた親への負い目はずっとあったし、今でもまだどこかに残っている。
高学歴で「エリート」と呼ばれるにふさわしい、誰に見せても恥ずかしくない経歴の父親からすれば、低学歴でこれといった取り柄がなく、何もかも平均以下の娘は残念に思われて当然だと思う。自分でもそう思うし。
なので父親のその言葉を聞いた時「やっぱりな」と思ったし、大して傷ついていないつもりだった。
こうして「父親に認められていない」という推測は事実になってしまった。「推測」であればまだ良かった、「もしかしたら違うかもしれない」という希望を持てたから。本人の口から聞いてしまった後、その事実は徐々にクッキリとした輪郭を持ち、気づけばこれまでに感じたことのないみじめさの温床となっていた。
父親のような人間になりたかった。
好きでやりたいことがハッキリしていて、一つのことをずっと続けているような、そんな人間になりたかった。
しばらく生きてみた結果、私にはやりたいことも、熱中できるほど好きなことも、勉強したいという意欲もないどころか、がんばるのも努力するのも嫌いで、ただ怠惰な生活をおくることしかできないヤツだとわかった。それを認めたくなくて、お金と時間と労力をかけていろいろやってみたものの、全てムダに終わった。そのぐらいやらないと諦めつかなかっただろうな、と半ば無理矢理自分を納得させている。そもそも自分に期待したのが間違いだったのだ、それがツケとなって返ってきただけの話だ。
母親に対する私の思いは、父親に対するそれとは正反対だ。
母親は自分の意見を持たず、その場の雰囲気と気分で無責任に発言をし、こちらの話を聞かずトンチンカンな返答をするのが得意で、何度も同じことを相手に言わせる。母親にこんなことを思ってはいけないのだろうけど「救いようがないぐらい頭が悪い人」と思っている。
そして私はこの「救いようがないぐらい頭が悪い人」からも信用されていない。そりゃそうだ、こっちが相手のこと信用してないんだもん。
「あの時◯◯(私)が××するの見て、ハラハラした〜」
とか、言わなくていいだろってことをいちいち言ってくる。なんでそんな「あなたを信用していないから心配した」なんてことを本人に言ってくるのだろう。こういう無神経なところもカンに障る。そのことを伝えると「でも私もあなたにこんなこと言われてムカついた」と言い返してくる。私の意見は一切聞くつもりがなく、私も母親の言うことを一切聞くつもりがないので、お互い言うだけ徒労に終わる。だからこういうことを言われる度に怒髪天を衝きそうになるが「こんな頭悪い人にはどうせ何言ってもムダ」と私の一番の親友であろう諦めがおさえてくれる。
さっきもそんなことがあって、いつも通り言いたいことを諦めて終わるつもりだった。
ふと気になってしまった。
「何でこの程度のことを言われたぐらいで、こんなにイライラしているんだろう?」
聞いたところによると「怒り」というのは二次感情といって、最初に生じた感情に対する反応らしい。つまり「怒り」の奥には別の感情が潜んでいるそうだ。
今感じているイライラの根源は何か考えた結果「両親から認められていない・信用されていないと結論を出すに充分な発言をされた悲しみとみじめさ」だった。そのことに気づいた瞬間、家族で食卓を囲んで夕食を食べている最中にもかかわらず涙がぽろぽろ出てきてしまった。焦ってティッシュで鼻をかむふりをしてやり過ごし、気づかれずに済んだ。平常時の声で話しながら電話口でぼろぼろ泣いたり、トイレの個室で目が赤く腫れる直前で泣くのを止めたり、どうも私は人に弱みを見せないことにかけてはプロ級らしい。こういう時、ちゃんと弱ってることを相手に見せられる女の子がモテるんだろうなぁ。
自分の感情を認知して、怒ったり悲しんだりみじめになったりするのが面倒だから、自分の感情からあえて目をそらすうち、自分の感情を認知できなくなっていた。でも感情は認知せずとも、どこかにたまって時と場所を選ばず今回みたいに出てきてしまうことがある(魚喃キリコのマンガ「ストロベリーショートケイクス」に「感情は勝手に出口を見つけて出てきてしまう」みたいなセリフがあって、初めて読んだ時「たまに涙が止まらなくなる時あるけど、あれってそういうことだったんだ」って衝撃だった)。
まるで私の両親が私のことを愛していないみたいな書きぶりだが、そんなことはないと思う。
愛情を持って育ててくれたし、私のことを大事に思ってくれている(はずだ)。
それなら、私がしんどかった時に味方になってほしかったし、無条件で私を認めて愛してほしいと思う。いい年こいてこんなこと思ってる時点で親離れできてないくせに。
あと何十年も生きるなんてめんどくさいなぁ。誰か私の代わりに生きてくれないかな。