幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

「かわいい」乞食

教室に入ると、まず入口付近にいる子に軽く挨拶をする。「おはよー」と言うことによって、私が学校に来たことを周りに自然に知らせることができ、「とりあえず済ませるべきことは済ませた」というささやかな自信を持って学校生活を始められる。いわば教室への入場料だ。

私の通っている高校は生徒数が少なかったせいか、クラス全体で仲がよかった。一緒にお昼を食べるメンバーはなんとなく決まっているけど、ときどきメンバーが入れ替わることもめずらしくない。特別仲がいい子たちもいるけど、ペアを組むことになったら近くにいる子とそつなく組める。そんな人間関係の悩みが少ない、平和なクラスだった。校則もゆるく私服通学で、みんな好きな格好をして、髪を染めたい色に染めていた。

 

そんな平和なクラスの中で、私にはどうしても苦手な女の子がいた。マリナちゃん(仮名)だ。

枝毛が目立つ明るい色の髪

透ける安っぽい生地のトップス

パンツが見えそうなぐらい短いスカート

重ねづけして悪目立ちしているつけまつ毛

目の周りをぐりぐり囲んだ真っ黒のアイライン

わざとらしかったり主張が激しかったりするものが苦手な私には、マリナちゃんが毒があることを証明する警告色を身にまとった動物に見えた。私には「毒」に見えるものが、マリナちゃんには「蜜」に見えるらしい。マリナちゃんと好みが合わないことは一目でわかった。

好みが合わないだけで、髪も服もメイクも本人のやりたいようにやればいい。私がマリナちゃんを「装飾過多」と思っているように、マリナちゃんが私を「ダッサ」と思っていてもなんらおかしくない。マリナちゃんもそう思ったのかはわからないけど、私たちが二人で出かけたり、在学中も卒業後も連絡を取らなかったのはとても自然なことだった。でも私が彼女をそれとなく避けていた理由は、「好みが合わないから」だけではなかった。

 

「ネイル変えたの」

「髪の色、どうかな?」

「三つ編みに編んでみたんだ」

「この服、昨日買ったばかりなの」

マリナちゃんはいつも聞かれてもいない自分の事情を話して、周りの反応をうかがっていた。自分のことを「マリナ」と名前で呼んでいるのを初めて聞いた時は全身に鳥肌が立った。

高校生でまだ十代といえど、マリナちゃんが求めている言葉はなにか、すぐにわかった。女に生まれた以上、人生で一度は「かわいい」と言わなきゃいけなくなる場面に遭遇する。たとえ「かわいい」と思っていなくても。

わざとらしい舌っ足らずなしゃべり方で、首を傾げながらほめられたいポイントを口にするマリナちゃんを、私はちっとも「かわいい」と思えなかった。「ほめられたいならほめられるよう仕向けるんじゃなくて、思わず『かわいい!』って言わせるぐらいかわいくなれよ」といつも思っていた。

私には、彼女が他人に「かわいい」と言わせる技術ばかり磨いているように見えた。自分で自信をつける努力をするのではなく、他人から与えられる「かわいい」で自信のなさを穴埋めしようとするその姿勢は醜く、彼女が「かわいい」を乞う姿は痛々しかった。本当にかわいい子は何もしなくても「かわいい」と言われるもので、自分から何かしないと言われないということは、つまりそういうことだ。

 

「かわいい」という評価は不思議で残酷だ。「かわいい」に明確な基準はない。目が大きかったら、背が低かったら、色白だったら、必ず「かわいい」と評価されるわけじゃない。

それなのに多くの人が「かわいい」と思う人は、他の人が見てもやっぱり「かわいい」。明確な基準はないはずなのに「かわいい」と「かわいくない」の境界線を、なんとなく共有している。「かわいくない」と評価されることは、女の子にとって地獄行きに等しい。なぜなら「かわいい」は権力で、シード権で、免罪符だから。

そういった事実を並べてみても、私はあまり「かわいい」という言葉を信じられない。特に女の子からのそれは挨拶みたいなものだと思っている。私が教室に入ってとりあえず言う「おはよー」と重さは同じだ。そう言っておけば空気が悪くなることもないし、相手に悪い印象は与えないから、とりあえず「かわいい」と言う。その「かわいい」には「悪者になりたくないから」という気持ちしか含まれてない。

そう思っていながらも、「かわいい」と言われた瞬間はうれしいし、安心もする。けどそのうれしさと安心は、次の瞬間には消え去っている。他人から簡単に与えられた自信は長続きしない。だからマリナちゃんは毎日のように「かわいい」と言われたがっていたのかもしれない。

 

「かわいい」が飛び交う女の子の世界にいると、自分が言う「かわいい」はちゃんと相手に届いているのか、不安になる。本当に「かわいい」と思った時だけ言うようにしないと空っぽの「かわいい」しか言えなくなる、「かわいい」と思っている気持ちが誰にも届かなくなる。そんな気がして、私は「かわいい」と思った時だけ言うようにしていた。私がマリナちゃんに一度も「かわいい」と言わなかったのはそれを守るためだった、と言えば、少しは聞こえがいいだろうか。

「一回ぐらい『かわいい』って言った方がいいのかな」と思ったことは何回かある。女子特有の気遣いを身につけるチャンスととらえることもできた。けど相手の無言の求めに応じて「かわいい」と言ってしまったら、きっと何度も同じことを求められる。それを経験からわかっていたから、やっぱり言わなかった。言わなくて正解だったと今は思う。

 

関わりたくないのに彼女の言動を観察していたのは、たとえ自分から仕向けた形であっても、見てほしいところを見てもらって、言ってほしい言葉を言ってもらえる彼女がうらやましかったからだろう。けどそのうらやましさより「お世辞じゃなく、心からの『かわいい』が欲しい」という気持ちが勝った。それは今でも変わっていない。

私とマリナちゃんは好みも見た目も、何もかもが正反対だった。でも、何もしなくても「かわいい」と言われる容姿に恵まれず、常に「かわいい」と評価されることに飢えていて、その飢えが満たされることがない点は、とてもよく似ていた。