幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

恋愛できなくていいですか

特定の異性と仲良くしていると周囲から「好き」と認識されることに心底うんざりする。

仲の良い人とそうでない人では態度や話し方が多少異なる。これが同性だと「仲良し」という認識になるのに、相手が異性になった途端恋愛感情を勝手に盛り込んでくる。ホントうっとうしい。

小中学生ならまだわかる。高校生もギリわかる。「好きなの?」「付き合ってるの?」と事実確認してくるのも正直うざったい。いい年した大人がこちらが否定しているのも聞かず好き勝手言うのも勘弁してほしい。「ガキで〜す☆」と自己紹介しているようなものだ。見てるこっちが恥ずかしいからやめてくれ。

こうなると仲の良い異性への接し方を変えるか、いい年したガキにキツく言う、のどちらかを選ぶことになる。

前者はいい年したガキに負けたみたいでおもしろくないし、後者はしんどい。他人に怒るという行為はエネルギーの消費と成果がつり合わない、文字通り「骨折り損」でしかない。エネルギーの強盗はやめていただきたい。

奇妙なことに、そうやって頼まれてもいないのに他人の事情に首を突っ込んでくる人は恋愛面での問題を抱えていることが多い。なぜ自分の問題ではなく他人の問題に焦点を合わせるのか。ボランティア精神は他の場面で発揮できるだろうに暇なのか?

まぁ自分が問題を抱えている時、同じように問題を抱えていたり、自分より上手くいっていない人を見ると安心感を得られるのは事実だ。それは大いにわかるが、そんな薄い安心感を得るために私を利用しないでくれ、お前の問題は何も解決しないぞ。

 

性別とか年齢とか関係なく仲良くなりたい人と仲良くなりたいのに、どこかでそういうことを意識している自分がいて、それを情けないともカッコ悪いとも思う。

あぁヤダヤダ。

自分の恋愛事情を話したいと思わない私にとって、そもそも恋愛感情がないところに恋愛を絡めてくるのは余計なお世話以外のなにものでもない。

高校生の時、バイト先で仲良くしていた異性について「お似合いだよね、付き合わないの?」と先輩に聞かれた。その度に「恋愛感情はない」と答えていたものの、度重なる追及に嫌気が差して「いい加減にして下さい」などわりとキツめに言ったこともある(目上の人、年上の人に対していつも無難な態度で接する私の、年上に怒った数少ない経験のうちの一つだ)。

こういうことを聞かれる度に「みんな恋愛好きだよなぁ」と感心する。他人の恋愛事情に全くといっていいほど興味がない私にとって、恋バナでキャッキャできることが不思議でしょうがない。

なんだかんだ恋愛至上主義の現代で私が息苦しさを覚えるのはこういうところなんだろうな。恋愛に関わろうとしないだけで「変な人」「半人前」扱いされる風潮はなんなんだろう。

恋愛に夢を見ることも、恋愛のない人生は無意味とされていることも、「恋愛」が人間性を測る物差しになっていることも、心底理解できない。確かに恋愛はわかりやすく幸せにしてくれるし実際私の一番幸せな思い出は恋愛に関するものだけど、その経験がなかったら私の人生成り立ってないのかというと、それは言い過ぎだと思う。

私が恋愛をしないと決めたところで不幸になる異性なんていない。「恋愛できなくていいですか」なんてわざわざ聞くまでもない。いいに決まってる。恋愛できなくても肩身の狭い思いをせずに生きていける国があったらな〜なんてよく妄想してたけど、これからはそういう国に住んでいるつもりで生きていこう。本当はこんなこといちいち気にしてないで、言いたいやつには言わせておけばいいって余裕ぶっこいていたいんだけどな、ちょっと疲れた。