幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

2021.7/19 「菅さんの支持率3割切った」って聞いて鼻で笑いました

小山田圭吾のいじめがいろんなところで取り上げられていて、なにかと思ったら小山田が五輪の楽曲を担当したことがきっかけで、いじめのことを知らなかった大勢の人に知られて問題になっているらしい。まぁそうだろう。ファンでない私が昔からいじめのことを知っていたぐらいだし、「問題になってるから謝ります」感満載だし。

(前からGoogleの検索窓に「小山田圭吾」って打ち込んだらすぐ「いじめ」って出てきたと思うんだけど、起用した人はググることすらしなかったのかな。あんな大きな大会なのにそのへんテキトーに決めるのね)

ニュースを見ていて、「いじめた側が謝ってもなんの意味もないよなぁ」とつくづく思った。いじめた次の日ぐらいなら意味はあるかもしれないけど、数十年後とか「なめてんの?」としか思えない。たとえ心から「申し訳ない」と思っていても、その言葉にも行為にもなんの価値も意味もない。

いじめをいじめではなく「犯罪」にして、警察が介入できるようにして、刑罰を導入して、進路と就職にもガンガン影響するようにして、それでもやっと抑制効果がある程度で完全にはなくならないと私は思っている。学校ってサバイバルだよね。もう通わなくていいってそれだけでうれしい。ごくまれに「いじめられる側にも原因がある」とかドヤ顔で言っちゃう人いるけど、境遇と頭がすごく幸せな人なんだと思う。そんな人に会うたび「どうかコイツがいじめられますように〜どうかどうか理不尽な目に遭いますように〜」と心の中で拝み倒してる。

東京五輪やるって決まってからいいこと一つもない」ってTwitterで見かけて「ホントそう」と思った。呪われてんじゃないの。頼むから私が払った税金1円も使わないでほしい。どうせ湯水のごとく使われてるんだろうけど、とため息をつきそうになったけど、そもそも湯水のごとく税金払ってなかった。とりあえずお金返して。

若者が選挙に興味がない理由って、こういう「どうせ自分が考えて行動したところで世の中変わらない。本っ当にマジで1ミリも変わらない」という実感から無力感が少しずつ少しずつ蓄積された結果だと今まさに実感している。それでも選挙に行くのは、いつかチェーン店のカフェで見かけた「あたし選挙とか行ったこと一度もなーい。行っても意味なくない?でもニュース見てたら文句言うし『もっとこうしてほしい』って思う」と言っていたバカそうな女と一緒になりたくないからだ。「価値ある一票」は「当選した人に投じた一票」で、世の中の大多数の人と意見を違える庶民の一票なんて価値がないのだ。

 

前置きで書こうと思ってたのに気づいたらいつもと同じぐらいの長さになってた。こういうご意見番みたいなこと書くのはなんか違うと思うんだけど、まぁいいや。