幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

2021.7/7 不貞腐れてたら七夕が終わってました

仕事でときどきメンテナンスのようなことをしなくてはならない。誰がやるとかローテーションが決まってるわけではないので、そのときになったら誰かが自主的にやることで回っている。そうなると自主的にやらない人も当然出てくるもので、「おもしろくないなぁ」と思いながらメンテナンスをした。今日のメンテナンスに限ってなぜかやたら手間がかかって、「これでやってないやつと同じ給料かよ」と腹が立った。かといって名指しで「お前やれよ」と言う度胸もない。波風も立てたくない。「なんか今日機嫌悪い」と思われるのも嫌だ。うぅん。

学生時代から「真面目・努力家・デキる人ほど損をする」と思っていた。社会に出てみて「やっぱり」と再確認した。デキる人ほど面倒で難しい仕事を頼まれるし、定時で帰る高学歴なんて一人も見たことない。ユニコーンとかペガサスと同じ空想上の生き物だと思ってる(ユニコーンとペガサスって同じ生き物じゃないよね?)。

仕事のために生きるつもりはサラサラないので、期待をされないようひっそり働いている。というか頭の出来が良くないので普通にしていれば期待はされない。けど「あえてやらない」を選び続けていると、それとなくバレて嫌われて居心地が悪いので、ときどき面倒事も引き受けるようにしている。やることやってれば万が一のとき周りに頼りやすい、という打算もある。職場で「頼れるしなにかあったら助けたい」と思っている人はみんな定期的に面倒事を引き受けているので、私もそれなりの評価をされているだろうと安心できる。なので結果オーライといえば結果オーライなのだけど。

「うらやましい」と思いつつその人のマネをしないのは、そうならない方にメリットを感じているからだ。結局自分で選んでるので納得はしているけど、この「おもしろくない」という気持ちと折り合いがつけられない。組織全体のアリの2割は働いていないという説もあるし、どこにでもやらない人というのはいるのだろう。「あの人やらないよね」という目で見られながら同じ職場で働ける図々しさと、そんなに価値があるとも思えない仕事仲間からの評価に敏感な察知能力と、どっちが人を幸せにしてくれるんだろうねぇ。