幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

今さら「嫌われる勇気」を読んでみたらヒッピーな村上春樹だった

タイトル通り、今さら「嫌われる勇気」を読んでみた。有名なので私が紹介するまでもないが、心理学者アルフレッド・アドラーの心理学「アドラー心理学」を、解説役の哲人と悩める青年の対話形式で紹介している本だ。

話題になったときも気にはなっていたが、手に取るほどではなかった。こういうのは話題になってたりよく目にしたりするときに読まないと一生手に取らないものだけど、なぜか読んだ。1回読んだだけでは「???」となる部分が多く、いろいろメモしながら2回読んだ労力を無駄にしたくないので、簡単にまとめておく。 

原文通りにメモしたはずだけど、ところどころ違っているかもしれない。なにより私による私のためのメモなので、ちゃんとしたまとめや解説が読みたい方は、他の記事なりレビューなりを読むことをオススメします。

 

 

アドラー心理学が掲げる目標

まずアドラー心理学が達成すべきとしている目標について。

行動面

・自立すること

・社会と調和して暮らせること

心理面(持つべき意識)

・わたしには能力がある

・人々はわたしの仲間である

「仲間」って言葉にアレルギー反応を示す私ですが、まぁなんとなくわかる。こうなったらいいよね。平和で幸せに毎日過ごせそう。

 

目標を達成するために必要なもの

共同体感覚(「自分はここにいていい」と思える所属感)

この「共同体」とは何かというと

人類すべて、過去から未来、動植物まで含むすべて

らしいです。私にはよくわからず、哲人も「共同体の概念を理解するのは非常に難しい」といっていました。解説役が「理解できなくても仕方ない」っていってると、「じゃあいいや」と思ってしまう(向上心ゼロ)。とりあえず私は「社会」ととらえることにしました。多分もっと大きいものを指しているんだろうけど。

ではこの「共同体感覚」とやらを得るためにはどうすればいいのか?

共同体感覚を得るには、「自己への執着を他者への関心に切り替えること」が必要で、さらにそのためには自己受容、他者信頼、他者貢献の三つが必要とのこと。それぞれ詳しく見ていきましょう。

自己への執着を他者への感心に切り替えるために必要なこと
①自己受容

最近よく聞く「自己肯定」ではなく「自己受容」。この二つはどう違うのか、本書では「今日の自分に点数をつけるとしたら60点だった」という場合を例に、以下のように説明しています。

自己受容:60点の自分を受け入れ、「100点に近づくにはどうすればいいか」考える

自己肯定:60点の自分に「本当の自分は100点なんだ」と言い聞かせる

自己受容とは不完全な自分を受け入れること、自己肯定とは不完全な自分を受け入れず理想の自分だけを良しとすること、と理解しました。長らく「自己肯定感上げなきゃ」「もっと自分を好きにならなきゃ」と、うさんくさいセミナーやら本やらにどっぷりハマってお金も時間もかけたわりにはちっとも自分を好きになれなかった理由がわかった気がします(さらっと黒歴史)。理想の自分を思い描いたところで、現実の自分とのギャップに苦しむだけなのよね。

自己肯定感について、りゅうちぇるさんが動画で「大人になってから急に自分のこと愛そうとか言われても無理」と言っていて、自分のことを好きになれない私は救われた気持ちになりました。

www.youtube.com

芸能人のインタビューって本人のイメージを壊さないように編集されてるんだな、と知りました。

上に挙げた60点の自分についての例でも、「自己肯定」だと、60点の自分は否定することになるし、今の自分を受け入れなければ苦しいだけなんでしょうね。肝心の「ありのままの自分を受け入れる方法」がよくわからなかったので苦しいままなんですけどね。そこ詳しく書いてほしかった。

②他者信頼

アドラー心理学では縦の関係(いわゆる上下関係)ではなく、横の関係を築くことを推奨しています。横の関係とは

意識の上で対等であること

を意味するらしいです。わかるような、わからないような。ちなみに

もしもあなたが誰かひとりとでも縦の関係を気づいているとしたら、あなたは自分でも気づかないうちに、あらゆる対人関係を「縦」でとらえているのです。

だそうです。うっすらそうじゃないかと思ったけど、私、誰とも横の関係築けてない

友達がいないので今の私を取り巻く人間関係は、家族と職場の人間関係になるのですが、職場はもちろん上司がいますし、家族もうちの場合は父が絶対君主なのでバリバリの上下関係があります。「意識の上で対等」とはどんな関係なのか、ピンとこない。そんな私にも、哲人は横の関係を築くためのヒントをくれていますが…

無条件の信頼とは、対人関係をよくするため、横の関係を築いていくための「手段」です。

アドラー心理学でいう「信頼」とは「条件や担保なしに相手を信じること」を指すそうです。わかる〜相手が自分のこと信じてるかどうかってなんとなくわかるし、信じてくれてない相手のこと信じられないのわかる〜。とはいえ縦の関係しか身の回りになく、条件や担保なしに人を信じられない私には、「無条件の信頼」は文字通り命がけの大バクチ。危険すぎないか?無条件で人を信じるって、と哲人の対話相手である青年も同じ疑問をぶつけていました。哲人は「裏切っても信じ続ける相手を、あなたは裏切り続けられますか?」と聞き返しているけど、できる人はできるんじゃないかな…それに1回裏切られるだけでもダメージきついっす。豆腐メンタルには耐えられない。

そんな私にもできそうなのが

いちばん大切なのは、他者を「評価しない」ということ

です。例えば子どもがお手伝いをしてくれたら、「えらいね」ではなく「ありがとう」と言う、と本書で説明されていて、しっくりきました。

聞いてもいないのにアドバイスしてくる人が嫌いなんですが、アドバイスって上から目線だから嫌な気持ちになるんですよね。相手を下に見てるからする行為だと思う。評価もそうで、例えば「変な服だな」とか「髪型似合ってないな」とか、わざわざ相手に言う必要がないのはもちろん、思った時点で相手を評価してる、つまり上から目線で見てるんですよね。とはいってもそう思ってしまうものはそう思ってしまうもので…うーん、難しい。

③他者貢献

「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てればそれでいいのです。

って書いてあるので、人助けをしたりボランティアに参加したりすることを勧めているのかと思ったんですよ。そしたら「行為」ではなく「存在」で貢献するという話が展開されまして…

われわれは「ここに存在している」というだけで、すでに他者の役に立っているのだし価値がある

さすがにそれはない…

私と同じように反応する青年に対して哲人は「もし自分の大切な人が突然死んでしまったら、生きてくれているだけで良かったと思いませんか?」と言います。言ってることはわかるんですけど、あくまで「自分の大切な人」だけ。哲人は「見ず知らずのニートの存在にも感謝できる」みたいなこと言ってるけど、感謝以前に見ず知らずの人に対してはなんの感情も抱けない。

「自分の大切な人」に限った話なら納得できるけど、私の場合、家族が死んだら私の存在に価値を見出してくれる人がゼロになるので、それはそれで絶望的である。アドラー心理学、残酷ぅ!

アドラー心理学ってちょっと体育会系みたいなところがあって、アドラーが言いたいことって「勇気があればなんでもできる!」に集約できると思うんですよ。その「勇気」はどんなときに持てるかというと、

人は、自分に価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる

そうです。具体的には、

・わたしは共同体にとって有益

・自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」

と思えるときだそうで。それって「自分の行為ではなく存在そのものに価値があると思えたとき」を指してるの?働いていても貢献感を感じる瞬間が稀なのに、「存在」っていわれても…ここ、理解できた人います?書いていてもサッパリわからん…

 

反論したいところ

過去は関係あるでしょ

本書は「トラウマの否定」から始まります。言葉通り、人と関わるのが怖くなったり、うまく話せなくなったりするのは過去の出来事、いわゆるトラウマのせいではない、というのがアドラー心理学の考え。

これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてはなんの影響もない

って言い切ってるんですけど、いや絶対関係あるでしょ

本人がトラウマを必要としているという「目的論」に沿って、アドラー心理学はトラウマを否定します。例えば赤面症の女性が「赤面症のせいで気になっている男性とうまく話せない」場合、赤面症のせいで話せないのではなく、うまく話せない理由を求めて赤面症になっている、というのがアドラーの言い分です。

自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定する

「過去にあんなことがあったから」を言い訳に、いろんなことから逃げている自覚がある私は納得できますが、だからといって「なんの影響もない」と言い切るのはどうかと。例えばこの赤面症の女性が、男性とうまく話せなくなるきっかけとなる出来事があって、そのせいで赤面症を理由に男性と関わることを避けているとしたら、過去は関係あるのでは。

と、ここまで「過去は関係あるでしょ」と書いてきましたが、本書の後半部分では「自分のことを変えられるのは自分だけだし、結局自分次第」ってことが書いてあります。「未来を変えるのは今の自分」っていう点では確かに過去は関係ないと思ったので、実際過去が関係あるのかどうかはどうでもいいのかなと。

 

他者が裏切るのは他者の課題?

アドラー心理学ではなにかトラブルがあったとき、あるいは勇気を出したいとき、「これは誰の課題なのか?」を考えます。「誰」は「自分」と「他者」しかいません。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えれば、自分の課題なのか、他者の課題なのかを見分けることができるといいます。このように「課題の分離」を行えば、人生をシンプルにできるそうです。

他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとり介入させない

一見冷徹ですが、実際他人を変えることなんてできませんしね。ただ気になったのは、人からどう見られているか気になるとき、人に裏切られたときについての答えです。本書には

なぜ他者の視線が気になるのか?

あなたはまだ、課題の分離ができていない。 

とあるのですが、「他者から不当な評価をされて不利益を被るのが自分」であれば、それは「自分の課題」にはならないんですかね?

裏切るのか裏切らないのかを決めるのは、あなたではありません。それは他者の課題です。

も、不利益を被るのは自分なわけだから、これもやっぱり「自分の課題」じゃないの?

どんな評価をするか、裏切るかを決めるのは確かに他人で、自分がコントロールできないことだから他者の課題、なのかな。

 

アドラー心理学の「幸福」と私の「幸せ」がそもそも違うっぽい

「どうすれば幸せになれるのか?」の答えを求めて読み進めていくうちに、とんでもない一文に当たりました。

幸福とは、貢献感である

………え?

私、「誰かの役に立てた」って思えたとき「うれしい」とは思っても「幸せ」とは思わない…おいしいもの食べたときの方がよっぽど幸せ。「貢献感」って、それこそ俗にいう「自己肯定感」では?

多分「貢献感」って私が理解しているような意味じゃないんだろうけど、読んだ限りでは私の「幸せ」とアドラーの「幸福」は違う、としか思えませんでした。なんのために読んだんだ…

 

参考になったところ

「今のまま」を選んでいるのは自分

アドラー心理学から話がそれますが、人間は本能として「現状維持」を選ぶって何かの本で読んで、すごく納得したんですよ。昔の人間にとって「変化」って命を脅かす状況ですからね。今の時代においても変わることって、いろんなリスク含んでますし。転職したら新しい環境で仕事おぼえなきゃいけないし、結婚したら相手の親と付き合わなきゃいけないし。

いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。

超わかる。

多分だけど、私が恋愛できない理由を大きく占めるのがこれだと思う。このまま恋愛しなければ、好かれるための努力もしなくていいし、好きな人から嫌われることもないし、ガッカリされることもないし、相手の知りたくなかった一面を知ることもないし、恋愛しないメリットが多すぎる。ここを乗り越えない限り私は恋愛できないだろうなぁ。

 

不幸自慢をしていたら一生不幸を必要とする

アドラー心理学のまとめしま〜す」とか書いておきながら私の事情ちょくちょくはさんで申し訳ないんですけど、苦労話と不幸自慢する人も大嫌いなんです。全部私の勝手な憶測だし、苦労話・不幸自慢する人がどういう意図で話しているかなんて知らないけど、

・僕はこれだけ苦労したんだから、君ももっと苦労しないと

・こんなに大変な目に遭った私を褒めて認めて特別扱いして!

のどちらかを言いたくて仕方ないんだと思う。苦労話と不幸自慢してる人の顔って、自分に酔ってうっとりしてて、シンプルにキモいもん。

自らの不幸を「特別」であるための武器として使っているかぎり、その人は永遠に不幸を必要とする

ここ読んだとき、むちゃくちゃ苦手だった女の子を思い出しました。この一文だけでいいから読んでくれないかな。

といいつつも、自分にも刺さる部分がありまして。昔あった嫌な出来事とか理不尽な目に遭った経験とかを、どこか「自分だけが持っている特別なもの」として大事にしている。「普通であることの勇気」を持つことが、ありのままの自分を受け入れることになる、と書かれていて、その「普通であることの勇気」を持てば特別(不幸)じゃない自分を受け入れられるのかな。で、それって、どうやるの?

 

自分が変えられるのは自分だけ

わたしが変わったところで、変わるのは「わたし」だけ。他者を操作する手段として自分の言動を変えるのは、明らかに間違った発想になります。

「他人は変えられない」って、わかってるはずなのに忘れてしまうことがある。「自分が変わったら相手も変わってくれるかな」なんて期待してしまう。そういうの、されてる側はわかりますよね。「変えてやろう」という意図が透っけ透けに見えてるんですよね。自分が逆のことされたら一瞬で心のシャッター閉ざすくせにね。というワケでメモ。ついでに「他人への期待」という点でも同じくメモ。

他者もまた、あなたの期待を満たすために生きているのではない

自分を変えることができるのは、自分しかいません。

やたら怒りっぽい人って、他人に期待しすぎなんですよね。「なんで自分の思った通りに動いてくれないの」って。「他者を変えられない」って、恋愛関係において絶望的な現実かもしれないけど、「自分も相手に強制的に変えられることはない」と思うと安心する。

 

一部分だけ見て判断しない方がいい

物事の一部分だけを見て全体を判断する生き方を、アドラー心理学では「人生の調和」を欠いた生き方、と呼びます。例えばたまたま嫌な人に会っただけなのに「これだから人間は…」と思ってしまうこと。そうです私です。

「人間ロクなもんじゃない」と思っている私ですが、今まで会った人全員が嫌な人だったかというと、そんなことなくて。一部の嫌な人ばかり思い出して、人間全体を同じように見てしまっていることに気づけました。自分が人付き合いを避けるのを嫌な人のせいにして楽していたことにも。今度人付き合いする機会があったら、変な先入観とかこれまでの経験とか捨てて話してみようかな、と思いました。

ん?私、アドラー心理学に染まってないか?

 

人間関係を築く上で、傷つくことは避けられない

なんで人付き合いが嫌かって、傷つきたくないんですよね。他に理由が思い当たらないぐらい傷つきたくない。でもそんな理由で人付き合いを避けることをアドラーは許してくれません。

痛みや悲しみを避けようとするからこそ、身動きが取れず、誰とも深い関係が築けなくなる。

正論すぎてぐぅの音も出ねぇ〜

これに対して青年は「だからって勇気を出せと言われても、出ないから困ってるんだ」と反論します。いいぞ青年、さぁ哲人はどんな答えを返すんだ?と思ったら、上に書いた「課題の分離」を提案してきます。自分と他者の課題を分離し、他者の課題には踏み込まず、自分の課題には誰一人介入させない、というやつです。

この部分うろ覚えですが、聞きたいこととちょっと違う感が凄まじい。「傷つくのが怖いときは課題を分離しよう」って、それ、勇気出る?お店で「この商品どこに置いてありますか?」って商品が置いてある場所を聞いたのに、商品を持ってこられたときの感じがする。まぁ傷つくことにビビってたらなにも変わらないぜっていうのは同意です。

 

嫌われる勇気を持たないと、自由に生きられない

本書で一番グサッときたのがこちら。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。

義務なしで自由になることはできないし、苦労とか努力なくして幸せになれないってことなんでしょうね。これはグサッときた。

傷つきたくなくて努力もしたくなくて行動もしたくないけど幸せになりたい気持ちばかりが強い私、一発KO

あと他人から嫌われることをめっちゃ怖がってるって、本読みながら気づけました。なんでこんなに嫌われたくないのかというと、自信がないからでしょうね。自分で自分を認められないから、他人から否定されたら自分のことを認めてくれる人がいなくなる、「いなくていい人」になってしまう。それが怖いんだろうなぁ。

これもまとめていて気づいたんですけど、私は自分を受け入れた方がいいんでしょうね、なんの取り柄も才能も実績もない凡人以下の私を。でもそれってどうやるんだろう。

 

アドラー「踊るんだ。踊り続けるんだ」

ちょっと自己啓発についてお話させてください。自己啓発セミナーにしろ本にしろ、やたら目標を設定させるんですよ。1ヶ月後とか1年後はもちろん、10年後から30年後まで。自分はどうありたいか、考えて計画を立てましょう!って言ってくるんですよ。なんでそんなこと知ってるかというと、自己啓発セミナーと本に時間もお金もかけまくっていた時期があるからです(黒歴史再び)

私のその計画はどうなったかというと「どんな未来をおくりたいかなんてわからないし、未来のこと考えて計画立てたところで意味あるの?」と思ってしまって、真剣に考えられませんでした。「こうなったらいいな」というのはありました。恋人をつくる、とか、夢中になれる好きなことを見つけてそれを仕事にする、とか。でも自分がそんな未来をおくれるなんてちっとも信じられなかったし、そんな気持ちで計画立てたって絶対上手くいかないだろうな、とまったく気分が乗りませんでした。

アドラー心理学では、このような目的地を目指す生き方を「キーネーシス(動的)」と呼び、「この生き方では目的地に到達するまでの道のりを、『ただの過程』とみなす」と批判しました。ではアドラーはどんな生き方を推奨したのか?

人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していれば、それでいいのです。

唐突な「ダンス・ダンス・ダンス

音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい? 踊るんだ。踊り続けるんだ。なぜ踊るのかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。

私もこんなリズム感が抜群に良い文章書きたい。普通に好きです村上春樹。多分全部読んでます村上春樹

読んでから5年は経っているであろう「ダンス・ダンス・ダンス」がすんなり出てきたのは、よしもとよしともの漫画「地球防衛軍」で地球を救うアイテムとして使われてて爆笑したせいだと思う。

アドラーが推奨したのは「過程そのものを、結果と見なすような動き」で、このような生き方を「エネルゲイア(現実活動的)」と呼びました。例えるなら「楽しくてピアノ弾いてるうちにピアニストになっちゃった!」ですかね。「今を生きろ」ってやつです。ヒッピーは正しかった。Be Here Now!

私は自分が目的地を目指す生き方ができないことを知っているので、そのときそのときを楽しむ生き方は素直にいいなと思いました。というか、それしかできない。

なんで計画的に生きられないのかというと、例えば絵を描くのが好きだから「プロの画家になる」と決めたとします。そうすると、絵を書くのが好きだったはずなのに「理想の未来を叶えるための義務」になってしまって、楽しめなくなってしまうんです。それまで楽しかったはずのことが、「義務」になった途端楽しくなくなっちゃったってこと、ありません?あんな感じです。

計画を立てること自体は否定しませんし、合ってる人にはいいと思います。実際イメージって大事だと思うし。イチローも小学生のとき「プロの野球選手になる」って作文書いてその通りになったし。

このヒッピー的な考え方に説得力を感じたのは、嫌なことを思い出して気分が落ち込んだとき、その瞬間の西暦・日付・時刻・秒を確認していい感じに気をそらしているから。ほぼ毎日やってる。

 

これから実践すること

なんかどえらい長文になってしまった…息切れしそう。正直これから自分が実践できそうなことをまとめる気力もないんですけど、ここまで書いたからにはなにか、なにか自分にとって有益なことを残したい…!タダじゃ終われない…!

過去・未来のことを考えるより、今できることをやる

嫌なことを思い出したり、未来のことを考えて不安になるぐらいなら、今できることを真剣に、丁寧にやろう。思い出せ、ウッドストックの熱気を、平和な世界が実現するかもしれないという高揚感を!Be Here Now!

「友達になれるかもしれない」と思って接する 

一部の嫌な人に焦点を合わせて「どうせコイツも私を傷つけるんだろうな」なんて思わず、今まで会ったいい人を思い出して「もしかしたら友達になれるかもしれない」と思って接する。相手を評価せず、自分の思った通りに動いてくれるなんて期待せず、対等に接する。

言いたいことを言う

縦の人間関係ばかり築いてきたので、相手が自分より「上」の関係だと言いたいことを言えませんでした。そのせいで会わなくなったり、モヤモヤしてしまったりすることが多いので、言いたいことはちゃんと言おう。もちろん言い方には気をつけて、「相手が変わってくれるかも」なんて期待はせずに。私が言ったことを相手がどう受け止めるかは相手が決めることだし、ここでも勇気を出そう。

傷つくこと・嫌われることを怖れない

正直できる自信ないけど…と弱気になってる限りダメなんだろうなぁ。まぁ傷つくことも嫌われることも、いくら気をつけても完全に回避できないしね。そのときはそのときだ。

 

以上、今さら「嫌われる勇気」を読んだまとめでした。納得できない部分もありましたが、自分が傷ついたり人から嫌われたりすることを怖がっていて、凡人以下な自分を受け入れられずに苦しんでいることがわかったので、読んで良かったです。まとめるのに時間がかかっている間に、続編?の「幸せになる勇気」も実は読みまして。それも一応メモした部分があるので、また記事にする…かもしれない。この記事よりは短くなるはず。

ではでは。ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。ラブ。