正直に言うと観に行った目的の9割は「成田凌」。好きなんです、成田凌の顔が、スタイルが、足の長さが。なんて「その顔でイケメン好きとか言ってんじゃねぇよブス」と過剰な自意識の牽制により、リアルじゃ死んでも口にできませんが、ネットだし、顔見えてないし、みんなも好きでしょ?だからいいよね?ね?
好きな俳優が出ている映画って、ストーリーがつまらなかったり展開が超お約束だったりしても「まぁあの顔を大画面で見れたからいっか」と満足できるのが約束されてるので、映画館に行くハードルが下がっていいですね。正直この映画も予告編の雰囲気からして「すっぱり問題が解決せずに、ふ〜んわり終わるんだろうな」なんて失礼極まりない予想をしていたのですが、とても良かったです。とっっても良かったです。どのへんが良かったのかまとめつつ感想書いていきます。
※ここから先ちょっとネタバレあり
成田凌の演技と笑ってしまう掛け合い
こんなこと言うの今さら感ありますけど、それでも言わせてください。
成田凌演技うまっ
成田凌が演じる塾講師・大野は数学が好きで頭はいいけど、人とのコミュニケーションが著しく下手な男で、正直使い古された設定ではある。んだけど、この設定からイメージされがちな「天才」とか「他人の目を気にせずわが道を突き進むタイプ」ではないのがいい。大野が教え子・秋元(清原果耶)に、
今までずっと一人で、別に今はこれでもいいけど、これから先もずっと一人なのかなって考えたら夜眠れなくなったりする
と、おそらく今まで誰にも言えなかったであろう心の内を明かすシーンがある。このセリフと不安そうな顔から、大勢の人が抱いているであろう不安を同じように抱いていることがわかる。数学も好きだけど「同級生には僕よりできるやつがいっぱいいた」と、挫折も経験している。「数学が好き」と聞いて思い浮かべる天才キャラより、親近感が湧く。でも大野はやっぱりちょっと変で、それは秋元含め他の登場人物との会話の噛み合わなさに如実にあらわれる。そしてそれがおもしろくてしょうがない。観ていて何度も声を出して笑いそうになった。説明するより動画を見てもらった方が早いので、↓の動画をぜひ見てほしい。
これで笑った人はもう映画館行って大丈夫です、楽しめます。こういう掛け合いのオンパレードなので。掛け合いのシーンは基本長回しで、間があるのも良かったです。気まずさと焦りと不安が出ていて。
この掛け合いを楽しめるのは成田凌の演技が自然だから。秋元に用意されたセリフを言う時の棒読み加減とか、相手を怒らせるためでなくわからないから素直に聞く悪気のなさとか、それこそ"普通"は言わないようなことをさらりと言ってしまうデリカシーのなさとか、嘘をつけないがゆえに却って失礼なことを言ってしまう空気の読めなさとか。何よりすごかったのが笑い方。見たことも聞いたことない笑い方で、顔が成田凌でもドン引く。これも説明するより動画で見てもらった方が早いので、↓を見てほしい(0:13から)。
一番好きなのは、女性と話して楽しかった帰り道、大野が秋元に「今まで人と話して何の意味があるんだろうって思ってたけど、相手が彼女だと話してる内容なんかどうでもいい」と饒舌に話し、心なしか歩き方もハキハキしているように見えるところ。気持ちが浮き立っていて、相手のこと以外考えられなくて、喜びをおさえきれない大野を見て「あぁそうだったな、好きな人とただ話すってことが楽しかったな」と思い出した。
"普通"って、安心する
そんな大野に"普通"を教える女子高生・秋元も、一般的な「女子高生」のイメージから外れている。秋元は恋愛経験がゼロで、高校の同級生たちが騒ぐようなイケメンには興味がなく、学校生活は楽しくなさそうだ。ディズニーランド行ってもはしゃがなそうな、レアな女子高生である。「君はそういう世の中を斜めに見るところがあるから恋人ができないんじゃないかな」と大野が指摘するように、斜に構えたところがある。
大野も彼女も"普通"から外れているという共通点はあるものの、秋元が大野と違うのは自分を"普通"だと主張する点だ。秋元は自分が"普通"から少し外れていることを自覚していて、そのことをどこか恥ずかしいと思っている。それは大野を"普通以下"と迷わず言い切るところからもうかがえる。そんな秋元は、子供の教育に情熱を注ぐ実業家・宮本(小泉孝太郎)に憧れている。小泉孝太郎が演じている点からわかるように、見た目は「THE・好青年」だ。宮本には美奈子(泉里香)という婚約者がいて、美奈子も見るからにまともそうだ。宮本も美奈子も「クラスになじめない」とか「友達ができない」といった悩みとは無縁な、順調な人生を送ってきたように見える。
「何が普通かなんて、人それぞれ」と言うけど、"普通"は確かに存在する。二十歳過ぎたら恋愛経験あるのが普通、社会人は一人暮らしするのが普通、貯金あるのが普通、友達いるのが普通。上に挙げた条件をほとんどクリアしていない私は、それこそ"普通以下"だろう。ときどき肩身の狭さと生きにくさを両手に提げて生きている気分になる。
映画の話からはズレるが、私も大野のように"普通"になろうとしたことがある。「どうしたら他の子のように恋愛できるんだろう」と恋愛本を読み漁り、見た目の改造に取り掛かった。本には「男性は男性が身に着けられないものに女性らしさを感じる」とあった。透ける素材、ふわふわのファー、ミニスカート、ヒールの高い靴、光って揺れるアクセサリー。どれも私が苦手な、生まれ変わっても好きになれるかわからないものばかりだった。それでも"普通"の女性になるため、服を、アクセサリーを、今まで入ったことがないお店で買った。それらを身に着け、男性との会話に慣れるべくデートの練習を重ねる、はずだったがそこまで進めなかった。自分が好きでないものにお金をかけるのも、それを身に着けて誰かと会うのも気持ち悪くてすぐに限界が来た。そして私は悟った。「ここまでしないと恋愛できないなら、私にはできない」と。吹っ切れたといえば吹っ切れた気もするし、女として"失格"という烙印を押された気もする。自分の好みがことごとく「モテ」と正反対であることも、恋愛に対してモチベーションが低すぎることもわかって「そりゃどうしようもねぇわ」と諦められた。
私がひそかに感動したのが、美奈子のファッションだ。なんせ泉里香が演じてるんだからキレイなのは当たり前なんだけど、ファッションが恋愛本に書いてあった条件を全てクリアしていて圧倒された。モテたい女性のみなさん、リアルモテファッションを学べる映画でもありますよ。
余談がずいぶん長くなってしまった。
大野と秋元が"普通"になろうとするのは安心したいからだ。みんなと同じように暗黙のルールを知っていますよ、守っていますよ、という顔をして社会に溶け込みたいのだ。"普通"の輪の外にいると疎外感を感じるから、「自分はどこかおかしいのでは?」と不安になるから。
"普通"は生きにくさを感じさせることもあるけど、都合のいい言い訳にもなる。そして私は"普通"を言い訳に、今まで向き合わなければならないものにフタをしたり、自分の気持ちに嘘をついて楽な方を選んだりしてきた。「これが"普通"だから」と思えば、大きな間違いを犯していないと思えるし、「みんなと一緒」という安心感も得られる。どこかで"普通"を憎みながらも、ちゃっかり利用してきた。数えきれないぐらい。
でも大事なのは、劇中の大野のセリフにもあるように「自分で決めること」だ。
「君はどう思ったんだよ、どうして自分で決めないんだよ!」
大野は常に淡々としている。怒ることはあっても、いつもよりちょっと早口になるくらいで、その口調もいつも通り理路整然としている。そんな大野が唯一、大声を上げて怒るシーンがある。
映画の終盤、「秋元と寝た」と美奈子と大野に勘違いされた宮本は、美奈子と別れの危機を迎える。大野は美奈子に想いを寄せており、美奈子も大野に心を惹かれ「宮本とちゃんと別れてから連絡します」と言っていたのに、待てど暮らせど美奈子からの連絡が来ない。大野がそのことを秋元に相談すると「あの二人が別れるわけないじゃん。普通は別れないよ」とまた"普通"を持ち出され、元の鞘に収まった二人の写真を見せられる。その写真を見た大野は秋元に問う。「君はそれでいいの?」と。そこでも、こうなるのが"普通"だから、と繰り返す秋元に、初めて大野が感情的に大声を上げる。
この写真を見て君はどう思ったんだ?傷ついたんじゃないのか?
君と寝たのに元の恋人のところに戻るこんな男を、僕は許せない。
君が言ってる"普通"は、何かを諦めるための口実なのか?
"普通"って、君はどう思ったんだよ?どうして自分で決めないんだよ!
そもそも秋元はもう宮本のことが好きではなく、寝てもいないので諦めるかどうかという次元の問題ではないんだけど、それにしたって自分を傷つけたであろう相手に対してこんなに怒ってくれるの、いいよね。好きになっちゃう。
"普通"でいると、安心するけど、"普通"でいることがその人にとって幸せとは限らない。むしろ幸せから遠いことの方が多い。まともそうに見える宮本や美奈子だって、順調そうに見えていろいろある。まともそうに見える人も、精一杯"普通"を演じているのかもしれないと思って、少し安心した。
まともじゃないから、おもしろい
映画の終盤に近づくにつれて、多くの人は大野に好感を持つだろう。圧倒的に「おもしろい」からだ。もし大野みたいな人と会ったとしたら、第一印象は間違いなく「変な人」だ。けど大野を見ているうちに、彼が見栄を張ったりうわべだけの言葉を発したりせず、相手の考えを尊重する人だとわかる。「人間関係めんどくさい」と口癖のように言っている私ですら「こんな人いたら友達になりたい」と思った。
まともじゃないからおもしろい大野を見ていると「私のまともじゃない部分をおもしろがってくれる人がいるかも!」なんて希望を抱きたくなる。でもね…
この映画唯一の残酷な点
大野はなんだかんだモテる。顔が成田凌であることを無視しても、大野の人となりを知れば知るほど好きになる。しかし同じく"普通"じゃない秋元は、モテている描写はない。大野が惹かれる美奈子は、順調な人生をおくってきたように見える"普通"の女性だ。女性らしい服をサラリと着こなし、美しく、常識と大人の雰囲気を兼ね備えた女性が結局は男性から求められると見せつけられた気がして、そういう女性になれなかった私は「やっぱり…」と、秋元なんて足元にも及ばないぐらいのこじらせっぷりを発動させた。女性の好みって多種多様だけど、男性の好みってなんだかんだ女子アナだよね。
それでも大野が言うように、"普通"に縛られる必要なんてない。どうしたいのかは自分にしかわからないし、自分にしか決められない。"普通"になれず努力もできない私は、もしかしたら、ひょっとしたら、こんな私をおもしろがってくれる人がいるかもしれない、と儚い希望を抱きながら生きていくことにする。
でも本音は何もせずこのまんまでモテたいよね!