幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

不登校の記憶

目が覚めた時「まだ朝じゃない」と思った。枕元に置いてる目覚まし時計を見ると2:30だった。なぜか夜中に目が覚めることがときどきある。起きるにはまだまだ早いので、そのまま横たわってまた眠った。

夢を見た。場所は多分中学校で、給食を食べる時の班の形に机を並べて、なにかを食べていた。私の班は私を含めて4人で、そのうちの1人の男の子が私になにか言っていた。なにを言われたのかはおぼえていない。でも私はこの風景を知っている。二度と戻ってきたくない時と場所に戻ってきてしまったことから気をそらしたくて、目の前にあるものを食べた。男の子が言っていることも聞きたくなかった。そうすれば嫌な時間が終わるわけでもないのに、私は自分の口の中に食べ物を詰め込んでできるだけ早く給食を終えようとしていた。

目が覚めて目覚まし時計を見たら、4:30を回ったところだった。約2時間。その間に体中の血液がタールになったかのように体が重たくて、動きたくなかった。

中学生の時、毎日こんな気分で過ごしていたのかはもうおぼえていないけど、こんな感じだったんだろう。こんな状態でよく毎日学校通ってたな、と当時の自分の我慢強さに驚いた。

結局私は中学校に通わなくなり、勉強もしなくなった。学校に通わなくなるまでは、自慢じゃないけど頑張ってテスト勉強しなくても平均点以上は簡単に取れていた。授業を受けなければわからなくなるのは当然で、自分が勉強できなくなった現実を直視したくなくて、勉強から目をそらすようになった。成績が下がっても、テストの点が見たことないぐらい悪くても、平気なフリをした。

今の私は当時のツケを払うように勉強している。大人になってからの自主的な勉強は思った以上におもしろくて、当時ほど苦ではない。それでも仕事をしながらの勉強は時間も限られるし、当然他のことはできなくなる。「みんなが知っていて当たり前のことを、自分だけが知らないのではないか」とことあるごとにビクビクする生活は、心地いいものではない。

「親や先生に言われたとおり、勉強しておけば良かった」

何度もそう思った。でも当時の私の気持ちを理解しようとせず、歩み寄りもせず、ただ要求してくる彼らに言われたとおり勉強するのは、屈辱だった。学校に行かなくなってから日が経つほど勉強がわからなくなっていたのもあって、自分の中で「勉強しないこと」は「善」になっていた。「大人の言いなりになりたくない」なんていかにも思春期の子どもがこしらえそうな言い訳だと自分でも思う。それでも当時の私が欲しかったのは、私の未来への心配ではなく、その時の私を少しでも理解しようとしてくれる姿勢だった。

当時私がされていたことは、「いじめ」と言われるほど苛烈なものではなかった。だから私が学校に行かなくなって「あの程度のことで学校行けなくなるなんて、これから先やっていけないよ」と聞いてもいないのに言ってくる教師もいた。もしタイムマシーンがあったらこう言われた時に戻って録音してしかるべきところに提出してやりたいと今でも思っているぐらい私はこの教師を恨んでいる。

 

私がこの時学んだのは「痛みや苦しみは本人にしかわからない」ということで、「他人の苦しみをなぜかジャッジしてくる人間が多い」という知りたくなかった現実もついでに知ってうんざりした。「なんで違うものさしで同じものを測ろうとするんだろう」とは今でもよく思うけど、こういうことがなければ私も他人の痛みや苦しみをさも偉そうにジャッジしていたのだろう。そう考えると、この経験があって良かったような、それでも知らない方がまだマシだったような、複雑な気持ちになる。何をされてどう思うのかなんて人によって違うんだから、もう人の気持ちなんて考えない方がいいんじゃないのかとまで最近は思うけど、行き過ぎだろうか。私が他人に無関心でいるのは、当時の自分を苦しめた人間と絶対同じにならない安易な方法だからかもしれない。

 

どこかで私は「どうして学校に行かなかったんだろう」「どうしてちゃんと勉強しなかったんだろう」と当時の自分を責めていた。もしちゃんと学校に行っていれば、勉強していれば、偏差値の高い高校に入っていれば、親から認められてもっと自分に自信を持って済ませるべきことを済ませながら歳を重ねられたかもしれないのに。みんなが言う通り、「あんなこと」で学校行かなくなるなんて私は弱すぎるのではないか、人としてできそこないなのではないか。

 

夢の中の嫌な気分を引きずりながらまず思ったのは「そりゃ学校行きたくないわ」だった。

「こんな気持ちで毎日学校行ってた時期があるだけでもえらすぎる。今の私なら1日で行くのやめる」

「勉強する意味もわからない、行きたい高校もない、なのに頭ごなしに勉強しろって言われてするわけない」

「今のタイミングで勉強できて良かったって思うこともあるし、これはこれで良かったんじゃない?」

「そもそもあんな精神状態で授業受け続けても勉強できるようになったとは思えない」

「あのまま無理に学校行ってたら死んでたか二度と戻れないぐらい精神ぶっ壊れてたかのどっちかだった。あの時の私ができる最良の選択は『学校に行かない』だった」

「あの時私が私を守らなかったら、他の誰も守ってくれなかった」

「私は間違ってない」

「私は悪くない」

「私は悪くない」

「私は絶対悪くない」

「私は絶対、間違ってなかった」

自分を否定するのがクセになっている私にしては信じられないぐらい、当時の自分を肯定する言葉が次から次へと出てきた。そしてそれは心からの言葉だった。

 

8:00に目覚ましのアラームが鳴って、いつものように布団の中でスマホをいじった。もう体中の血液は正常に戻っていて、中学生の時どんな気分だったかなんてすっかり忘れていた。それでも「やっぱり学校行かなくて良かった」と思った。「学校に行かない」という選択をした当時の自分に「ありがとう」と思った。

長年の呪いから解放されたはずなのだけど、生まれ変わったような気分でもないし、いつもとどこが違うのかわからない。相変わらず自分の中学時代のことを話したいとも思えないし、人付き合いもめんどくさいなと思っているままで、なんかもっとこう、わかりやすく視界にお花が咲いてたりキラキラしててほしいんだけど、と思いながらいつも通り仕事した。