幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

夢の中の新宿

雨粒がビニール傘を激しく叩いていて、周りの人の話し声がよく聞こえない。人の姿は見えるのに声が聞こえないと、いくら他の音がうるさくても奇妙な静けさをおぼえる。夢の中で新宿に来るといつも雨が降っている気がする。コンクリートの地面に溜まっている雨水は、靴に染み込まない。

 

「良かったら一緒に晩御飯食べない?」

頭に浮かんでいた言葉は間違いなくそれだった。断られるのが怖くて、あとで待ち合わせようとかなんとか、そんなことを言ったと思う。すがるような表情になっていなかったか、それだけが気にかかる。

彼女は大学時代の後輩で、1年の留年を経て私が通っていた大学に入学してきた。聞いたことはないけれど、私たちが通っていた大学は彼女の第一志望ではなかったと思う。

彼女と私は同い年だった。私が卒業するタイミングで「もう敬語使わなくていいよ」と提案したが「いえ、そういうわけにいかないので」と断られてしまった。彼女の、そういう一定した距離感が私を安心させるのか、卒業してからもときどき会っていた。この日も、美術館か映画館に行ったのだろう。彼女と行くのは大抵そのどちらかだ。

彼女とは交差点で別れた。向かいにあるはずの信号はなく、車が3台並んでも余るほどの車線がずっと続いているだけだった。周りを取り囲んでいるビルはどれも角が丸くて、やけにつるつるしていそうにどこから発せられたかわからない光を反射していた。右斜め前に、青い光を発する屋外看板を掲げたビルがあった。一瞬、紀伊国屋のビルかと思ったけれど、紀伊国屋のビルはきっとあんな光り方はしない、とすぐに気づいた。

以前この街に来た時は、どこかの建物の地下へと続く、人が一人やっと通れるぐらいの狭い階段を下りた。その先で酒を飲んだか、本でも物色したか、どうだったか忘れた。さて、と自分に言い聞かせると、その店を探すとも探さないとも決めずに歩き出した。

 

明確な意思を持ってここに来たのか、適当に歩いてたどり着いたのか、気づけば5階建てのビルの外階段を下りていた。ビルは、子どもが何も考えずにボロボロの木片を組み合わせて作ったようなでたらめな代物で、建っているのが奇跡に思えた。3階と4階の踊り場に足をのせ体重を預けると、雨水をたっぷり吸い込んでふくらんだ木の板が、ぐっと音を立ててクッションのようにやわらかく沈み込んだ。建物を作っている木片はどこも雨に濡れて、ずっと前から腐っていてもおかしくないぐらい頼りない。踏んだ木の板から水があふれ出しそうだと思いながらゆっくり階段を下りていくと、女が下の階から上がってきた。

まず目に入ったのは女の頭だった。女は地肌が見えるぐらい髪が少なく、生えている髪は真っ白な、縮れた白髪だった。後頭部で髪を一つに結び、浅黒い肌に鎖骨がくっきりと浮かび上がるぐらい痩せていた。女の着ているタンクトップが、女にもこの場にもなんだか似つかわしくないのは、生地が分厚くて、初めて着たかのように真っ白だからだろうか。

女はこのボロボロの建物の勝手知ったる足取りで、ずんずん階段を上がってくる。女があまりに堂々と歩くので、女の足元だけ鉄でできているような錯覚をおぼえる。私は狭い階段の端に身を寄せ、道を空けた。心なしか女が歩くたび、金属を踏む「カンカン」という音が聞こえるようだった。

女が顔を上げてこちらを見た。睨むような目つきをしているがそんなつもりはなく、長い間ここで生活か仕事をしてきたせいでそういう顔になったのだとわかる。白髪頭からてっきり老女だと思っていたが、肌にハリがあって思っていたよりずっと若そうだった。女が横を通り過ぎるとき頭の中に映像が流れ、女が3階のバーで働いていることを知る。今まで足を踏み入れたことのない、危険な世界のにおいに興味をそそられちょっと寄ってみようかと思うも、怖さが勝ってやめた。

唐突に買い物がしたくなって「新宿じゃなくて下北に行けば良かった」と後悔しながら思い出した下北は、どこを歩いても紫色の光が照らしている、何もない街だった。