幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

友達の条件

ふとした瞬間に、「あの人のこういうところ苦手だったなぁ」と思うことがある。そう考えるきっかけとかはなくて、もうクセになってるぐらい頻繁に考える。あんまりそういうことばかり考えるから、仲良くなれないタイプがだんだんわかってきた。よく「やりたいことがわからないなら、やりたくないことから考えるのがいい」というけどその通りで、仲良くなれないタイプがわかったおかげで、仲良くなりたいタイプがわかってきた。

そんなこんなで「自分はこういう人としか仲良くなりたくないし、この条件から外れる人には近づきたくもない」という「友達の条件」が固まったので書いておく。こういうのわかってると必要以上に人間関係で消耗しなくなるだろうから、自己防衛のためのフィルターとして。

 

 

友達の条件

1.お互いに好き

人間関係を築く上での大大大前提ですね。これまでの人間関係を振り返ってみて、本当は苦手だったり好きじゃなかったりする相手と無理して関係を続けていたと気づきました。そりゃ長続きしませんよね。嫌な気持ちにフタしたって必ず限界来ますよね。これは「友達いないとヤバい」「人を嫌いになっちゃいけない」という思い込みから自分に無理をさせていた気がします。無理して人付き合いを続けるより、一人の方がいい

 

2.口が堅い

正確に言うと「私が大事にしていることを、大事にしてくれること」。

口が軽い人に何が欠けてるって、モラルとか誠実さ以上に相手への思いやりかと。誰にも言わないでほしいことっていろいろあって一括りにはできないけど、本人にとっては大事なこと・守りたいことってのがほとんどだと思うんです。そういうのを簡単にばらまくのって傲慢極まりないし、相手のことを大事に思っていたらできないはず。なので、私は私を大事にしてくれる人とだけ付き合います

とはいえ人の口に戸は立てられない。意図的にばらされる場合もあるし、うっかりしゃべっちゃうこともある。しょうがない、人間だもの。なので「誰にも言わない」という約束自体、あまり意味がないと思っています。でもせめて、私が大事にしていることは大事にしてほしい。

私が特に苦手なのは共通の知り合いが多くいる関係で、「その場にいない知り合い」は格好の話のネタになる。まぁ実際楽しいんだけどね、そういう話。私がいない場なら話されていることすら知らないからいいか、とも思う。でも「私がいないところで話したな」とわかると、自分の部屋の物の位置が微妙に変わっているような気持ち悪さを感じる。体の感覚というのはバカにできないどころか、一番頼りになるセンサーだと友達の条件について考えてわかった。こういう気持ち悪さとか不快感は「無理」というサインなので、できるだけ距離を置くしかない。

 

3.距離感が似ている

「物理的距離感」「相手と自分の関係の捉え方」「どこまで相手のパーソナルスペースに踏み込むかの見極め」などなどひっくるめた「距離感」。身もフタもない言い方をすると、仲良くない人に馴れ馴れしくされるとキモいので、自分が「仲良い」と思ってる人とだけ仲良く接したい。

私が苦手な人の共通点がありまして、

・ボディタッチが多い

・名字を呼び捨てにしてくる

・やたら踏み込んだことを聞いてくる

・聞いてもいないのにアドバイスをしてくる

が主なもの。けどこれ、されて嫌な人とされても嫌じゃない人がいるんですよ。結局「相手が好きかどうか」に尽きるんですよね。好きな相手に上に書いたことされたら嬉しいもん。とまぁこれは「1.お互いに好き」に書いたことで。

上に書いたことをしてくるのは、私にとっては「あなたを『友達』と思っていますよ」っていうサインで。でもそうしてきた人を自分は「友達」と思ってなかったら「そのライン越えていいなんて言ってないけど?」ってなる。たまにいません? めちゃくちゃ早い段階で急に距離詰めてくる人。あれ無理です。全力で逃げます。自分と同じペースで少しずつ仲良くなれる人がいいです。

友達いない人間の持論なんで説得力皆無ですけど、「仲が良い」って「どれだけ許し合っているか」とほぼ同義だと思うんです。ボディタッチするのも、名字呼び捨てにするのも、初対面じゃ聞けないようなことを聞くのも、お互いに許し合っているからこそできることで、私にとって「一見失礼なことをどれだけできるか」は「どれだけ仲が良いか」を表すバロメータです。それを許していない相手にされたら、それはただの「失礼」でしかない。

どの段階で「友達」になるかなんて人によって違うから難しいけど。こういう距離感って頭で考えることじゃなくて感覚だから、合うか合わないかのどっちかしかない気がする。合わなかったら仕方ない。そもそもこういう感覚が合わない人と仲良くなりたいなんて思わないだろうし。

 

4.「普通」に縛られていない

「学校通って友達つくって恋愛して就職して結婚して子供産んで」っていう、いわゆる「普通」の生き方ができない人間なので、その「普通」の感覚を「絶対正義」としている人とは相容れない。多分向こうも私と仲良くなりたいなんて思わないだろうし。まぁ上に書いた「普通」って、今の時代だいぶハードル高いから近いうち廃れてくれると期待してるんだけど。

私は幸せも生き方も「人それぞれ」で、絶対的基準なんかないことを忘れないようにしているので、いわゆる「普通」とされていることをそのまま信じ込む人に、どこか怖さを感じる。何か話すたびに「それおかしいよ」とか「普通逆じゃない?」とか言われるのしんどい。「人それぞれだもんね」って受け入れてくれる人がいい。自分の価値観押し付けてくる人嫌い

 

こんなところですかね。なんか菩薩としか仲良くなれない気がしてきたけど、今までみたいに人間関係で消耗するぐらいなら一人がいい。「友達の条件」ってタイトルでブログ書いといて矛盾してるけど、最近やっと「友達いなくていいじゃん」って思えるようになりました。ゲームしたり本読んだり、ときどき美術館行ったり買い物したり、一人で過ごしてるけどちっともさみしくない。表面上の友達がいた頃の方がずっとさみしかった。