幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

RSR2020のおかげで元気になった私に、もう一丁祝福あれ

8月15日と16日、YouTubeでRSR2020が配信された。

このご時世なのでもちろんリアルのフェスではなく、過去のRSRの映像をメインに、アーティストのトークやスタジオライブを交えている。最近フェスにもライブにも行かなくなって、音楽自体あまり聴かなくなっていた私が見れたのは、いつも通り他にすることがないからと開いたYouTubeのトップ画面に、RSR2020が表示されたからだ。「ヒマだし久しぶりにこういうの見ようかな」とクリックした。

音楽を聴かなくなった理由はわからない。考えられるのは、新しいアーティストに興味を持てなくなったのと、当時使っていたiPodに入っている音楽で充分な気がしたのと、ライブに行った帰りにしんみりしてしまうのが嫌になっていたのと、服や化粧品にお金をかけたくなったのと、まぁいろいろある。社会人になって仕事やお金や老後や、そういった考えなければいけない(とされている)ことが増えて、音楽を聴く時間や余裕がなくなった、というのが一番の理由かもしれない。なんにせよ、気づいたら音楽を聴かなくなっていた。

気づいたらこうなっていたものは他にもあって、あまり感情が高ぶることがなくなったのもそれだ。嬉しいとか楽しいとか、一切思わないわけではないけれど、そう思うのは本当に一瞬で「今の感情は心の底からの感情なのか?」と自問すると、どうも頷けないというものばかりだった。でもこれは昔自分が望んだことでもある。感情が高ぶると後で必ず来る落ちる時間が苦しくて、感情が一定なら苦しむこともない、できればそう過ごしたい、と思った。ここ最近の生活は、そのときの私の望みをほぼほぼ満たしていた。

そんな調子で過ごしていると、自分が何を好きなのか、何をしている時に幸せを感じるのか、わからなくなる。生きている実感がどんどん薄れていく中、唯一リアルに感じられるのは「生きていてもしょうがないから早く死んでしまいたい」という思いで、それは言い換えると「自分の人生への諦め」だった。

そんな生きながらにして死んでいる私が、RSR2020を見て、笑ったり泣いたり喜んだりしていた。それは間違いなく心からの感情で、本当に、本当に、楽しかった。もう亡くなってしまったアーティストを見て悲しんだのも、知らないバンドの曲を聴いて「そういえばフェスって、知らないバンドを知れるいい機会だったなぁ」と懐かしんだのも、リアルタイムで行けた人たちをうらやんだのも、全部久しぶりの感情だった。

 

RSR2020を見てから斉藤和義奥田民生エレファントカシマシといった出演アーティストの動画がYouTubeの「おすすめ」に表示されるようになった。その中から宮本浩次の「ハレルヤ」を再生したら、涙があふれてきた。

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初めて聴いた時に思わず泣いてしまった曲というのは他にもある。ユーミンの「ひこうき雲」とかRCサクセションの「スローバラード」とかがそれで、だから音楽を聴いて泣くことは私にとってめずらしいことじゃなかった。

でも「ハレルヤ」の涙はちょっと違う。「ひこうき雲」も「スローバラード」も、歌詞だったり声だったり、自分とは関係のない部分に心を動かされた結果の涙だった。それに対して「ハレルヤ」で流れた涙は、何も実現できなかった自分と否応なく重なる歌詞が、「それでも明日はあるから絶望することはない」と何もかも承知した上で寄り添ってくれているようで、その優しさと自分のふがいなさと、音楽に心を動かされたうれしさのようなものが合わさった、よくわからないものだった。今振り返ってみても泣いた理由は全くといっていいほどわからない。でも私は昔からこうして音楽に救われてきたことを思い出させてくれた。それだけで充分だった。

 

おかげで最近、また音楽を聴くようになった。今日なんかRSR2020のトリを飾った、サニーデイ・サービスの「恋に落ちたら」を仕事中にノリノリで口ずさんでいた。リモートワークに切り替わって良かった。

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この曲もRSR2020を見ていたから知れた曲で、本当フェスの恩恵は計り知れない。

 

机の端に「iTunesに入れたい曲」をメモするために、手持ちの中で一番大きいサイズのふせんを貼った。ふせんの余白は着々と埋まりつつあって、まとめてCDを借りる時を想像するとウキウキする。そういえばよしもとよしとも曽我部恵一のCDジャケットを描いていた気がする。あれも借りよう。

実家暮らし、友達も恋人もいない、収入そこそこ、数ヶ月前に始めた仕事は頓挫しつつあるという私のまぁまぁ悲惨な状況は1ミリも変わっていないし、好転の予感もない。でも音楽を聴いているときの私は間違いなく、心から幸せで楽しくて、それだけで今は大丈夫だと思える。それが何よりうれしい。