幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

しゃべんのめんどくさい

一日中冷房が効いた部屋にいるだけで疲れる気がする。いや、事実疲れる。

梅雨が明けていよいよ夏がやってきた。去年までは一番嫌いな季節だった。今はもう「嫌い」という感情すら湧かず、白旗をあげている。風呂で洗い流した汗が髪を乾かしている間に噴き出してくるのも、外に出れば容赦なくギラギラと日光が肌に降り注ぐのも、暑さで普段は気にもとめないことでイライラするのも大嫌いだ。でも夏を「大嫌い」と言っても、夏に怒っても、なんの意味もないのでしない。「しない」と決めたわけでもないのにしなくなったのは、完全に諦めたからだろう。諦めが骨の随までしゃぶりつくした。

 

先日、久しぶりに外に出た。家を出て数歩歩いただけで頭がぼうっとして、そういえば赤道に近い国では暴力的な犯罪の発生件数が多いと聞いたことを思い出す。無理もない。

用事を済ませるついでに細々とした買い物も済ませてきた。気になっていたコスメ、なくても困らない食材、買おうか迷っていた服も試着したけれど、似合わなかったのでやめた。

こないだコンビニの鏡で見た、Tシャツにジーンズ姿の自分の洒落っ気のなさに驚いてから、服装を改めようとしている。だが私は流行りには全く興味がないし、年相応の女性らしい格好も一時期してみたけれど、すぐに飽きてTシャツとジーンズに戻った。結局この格好が一番落ち着くのだが、洒落っ気がないと、求めてもいないアドバイスをもらったり、なめられたり、勝手に見下されたりと、いろいろとめんどくさい。「シンプルでオシャレ」と思われるにはどうすればいいか、わからないでいる。とりあえず雑誌を見れば何かヒントが見つかるかもしれない。そう思って自分好みの服が載っていそうな雑誌を調べて、わざわざメモまでした。

ファッション雑誌を立ち読みするのなんて、それも真剣に1ページごとに目を通すなんて久しぶりだ。ページをめくるごとに、イライラが募り始める。1着数万円もする服を次から次へと紹介する雑誌をつくった編集者の目の前に、正社員時代の私の源泉徴収票を突きつけてやりたい。こんな気持ちになるから、ファッション雑誌を読まなくなったのだと思い出した。

それでもその中から、わりと良心的な価格の服やアクセサリーを紹介している雑誌を1冊買った。暇つぶしぐらいにはなるだろう。雑誌に載っている服は買えなくても、お気に入りのブランドやお店が見つかるかもしれない。そういえば付録がついていない雑誌を買うのも久しぶりだ。

雑誌は買って正解だった。暑くて外に出たくない今、部屋の中でやることといえば、パソコンでYouTubeの動画を見るかプログラミングの勉強をするか、スマホInstagramかLIPSをチェックするか、ゲームをするか、いずれもブルーライトを発する画面を見続けることばかりだ。雑誌なら、ブルーライトにさらされる心配も、これ以上眼精疲労をひどくする心配もいらない。本より気軽に読めるのもいい。今日はブログを更新したらさっさとパソコンを閉じて、布団に寝っ転がりながら雑誌をめくろう。気になるものにはふせんを貼って。

 

私が人と話すのが好きじゃないのは、自分の声が嫌いという理由も大きいだろうと最近思い始めた。

「目は未来、頬の色は現在、声は過去を表す」と哲学かなにかの本に書いてあった。それを読んだとき、自分の声が嫌いな理由が急に明確になった気がして、ますます人と話すのが嫌になった。私は自分の過去が嫌いで、だから自分の声も嫌いで、つまり自分が嫌いなのだ。

おまけに私の声は通りにくい。通そうと声を張り上げると、聞こえなくていい人にまで私の声が聞こえる気がして、ますます話す気が削がれる。

一緒に暮らしている両親はもう年で、だんだん耳も遠くなっている。ただでさえ通りにくい私の声は、ますます両親に届かなくなっている。でもそれでいい。大して話すこともないし、なによりめんどくさい。人の話を聞かない母と、人の話を平気で遮って自分が話したいことを話す父、人と話すことが日に日に面倒になっている私。もはや我が家で会話は成り立たなくなっている。

 

あまり、というか全くといっていいほど、いい思い出がなく、わりとストレスを感じるこの実家を出ないのは、私が一人暮らしをしても幸せにならないからだ。前にそう結論づけた。金銭的な理由もあるけれど、今の私が一人暮らしをすると本当に独りになってしまう。誰とも会話せず一日が、一月が、一年が過ぎてもおかしくない。

一人じゃないと落ち着けない自分は、一人暮らしをしても「さみしい」なんて思わないだろう、と数年前、初めて一人暮らしをする前は思っていた。ところがフタを開けてみるとホームシックになるわ、さみしくてたまらなくなるわで、自分の孤独への耐性がえらくもろかったと気づかされた。

私の話を理解してくれることが少ない両親であっても、「今日も暑いね」とか「バターまだある?」といった他愛のない会話のおかげで、私はさみしさを忘れていられる。だから一人暮らしを始められない。

私に友達がいればいいのだけど、残念ながらいない。どうも私は重箱の隅をつつくように人の欠点や気に入らないところを見つけ出すクセがある。そしてカンタンに人との関係を切ってしまう。私が人に求め過ぎなのか、今まで私の周りにいた人がおかしかったのか、わからない。「同じレベルの人としか仲良くなれない」という言葉には一理あるので、私にも欠陥があるのだろう。でも私は自分を改める気などサラサラないので、仕方ない。

このまま一人で、どこまで生きていられるだろうと考える。精神的な死を抱えながら長生きする自分が見える。ちょっと地獄だなぁ。

 

ここ数週間、精神状態はわりと好調だった。なのに本当にちょっとしたことで崩れるぐらい、私の精神はバランスが悪い。でも少しずつ安定に努めれば、今より落ち込まなくなったりするんだろうか。

友達がいたときでも「友達とのLINE」でなにを送ったらいいのかわからなかった。待ち合わせの連絡ぐらいしかしたことがない。会って雑談するのは楽しいけれど、LINEでどうでもいいことを話すのはちょっとだるい。パソコンと紙にはこんなに正直に話せるのにね。