幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

3年で300万円自己投資してわかった“ありのままの自分”とかいうやつ

いつからかわからないけれど、「自分はこのままではいけない」と思いこんでいた。

もっとおもしろい人にならなきゃ、目標を立てて頑張らなきゃ、「親友」と呼べる友達をつくらなきゃ、彼氏つくって年相応の恋愛経験を積まなきゃ、飲み会とかには積極的に行かなきゃ、自分から人に話しかけなきゃ、趣味をつくらなきゃ、なんでも始めたら続けなきゃ、もっと人を笑わせなきゃ、人から好かれなきゃ、いけないと思っていた。

今でもそういった思いはあるし、100%消えることはないと思う。

だが外出自粛が求められ、仕事にも行けない今、他人の目と評価を気にする機会が圧倒的に減り、ようやく自分の正直な気持ちに向き合えている、そんな気がしている。

 

今、私には結構な額の借金がある。

そのうちの半分以上は、ここ3年でこしらえたものだ。

仕事に関するものを除けば、借金の主な内訳は「やりたいことを見つけよう」とか「恋愛できる自分になろう」といった、傍から見れば「うさんくさいコンサル」だ。リアルの知り合いに知られるぐらいなら死ぬ。こんないい年になってから黒歴史をこしらえるなんて思ってもみなかった。

問題は私がやりたいことを見つけ、恋愛できるようになったかだ。

 

答えはノーだ。

 

やりたいことは見つからなかったし、恋人いない歴=年齢の更新はとどまるところを知らない。

つまり目的を果たせていない。金をムダにしたことになる。

こういった「うさんくさいコンサル」の料金はウン十万円なんてのがザラだ。価格をどうやって決めているのか、「人に知られたくない」という感情を利用してつり上げているのか妥当なのかわからないが、申し込む時にはかなりの決心を要する。そのくせ目的を果たせたかどうか見極められず、返金を言い出すのは難しい。いい商売だな、とは今でも思っている。

ただその「うさんくさいコンサル」を受けて後悔しているかというと、そうでもない。むしろ受けて良かったなと思っている。なかには「高かったなー」と思うものもあるが、タイムマシーンがあったとしても大半のものは受けるだろう。欲しいものは手に入らなかったけど他に得たものがあったから、というのは負け犬の遠吠えにしか聞こえないだろうか。

 

後悔していない一番の理由は、自分を受け入れられるようになったからだ。

「うさんくさいコンサル」業界の用語で言うと「ありのままの自分」だろうか。寒気がする語感だ。

 

そもそも私が3年で300万円も自己投資(この言葉は「うさんくさいコンサル」業界特有の、客のサイフのヒモをゆるませる呪文だと思う)したのは、自分に期待していたからだ。

 

理想の自分に近づけるかもしれない

 

気づいていない才能があるかもしれない

 

自分にしかできないことがあるかもしれない

 

他の誰にも負けない何かがあるかもしれない

 

寝食を忘れて夢中になれるものがあるかもしれない

 

「このために生まれてきた」と思えるほどのやりたいことがあるかもしれない

 

 

そういった自分への期待を完全に消し去るのに、3年と300万円かかった。

 

 

理想の自分になんて1ミリも近づけていないし、

 

才能なんてあったらとっくに花開いているはずだし、

 

自分にしかできないことがあるどころか、

他人が簡単そうにこなす恋愛とかソツのないやりとりは私にとって難しいし、

 

二度寝が大好きで空腹には耐えられないし、

 

頑張るよりも、のほほんと心穏やかに暮らしていきたい。

 

 

私には間違いなく才能もやりたいこともないし、変われない。

これが大金を費やして得た答えだ。

 

日記を書いたりYouTubeを見たり本を読んだり映画を観たり、ときどき勉強したり家族と内容のない会話をして仕事してコツコツ借金を返して、化粧品や服を買ってウキウキしてたまに外食していらない物を処分して、お風呂に入って歯を磨いてスキンケアをして髪を乾かして着替えて、部屋を掃除してストレッチして翌日のスケジュールを確認して目覚ましをセットして寝る。

これが私の日常だ。他の誰とも変わらない日常をおくることに、以前は我慢がならなかった。だから大金はたいたのだ。

でも今はそんな日常が私の日常なのだとわかる。そこには「安心」がある。

それを受け入れられたら、無理して年相応の女性らしい服を着るのも、トークスキルを上げなきゃと焦るのも、人と積極的に関わろうとするのも、行きたくない飲み会に参加するのも、自分には必要ないとようやく腑に落ちた。

こうして毎日家で過ごしていると、思い描いていた理想の自分は、他人の目を気にして生まれたものだとわかった。他人の目は私にとって原動力にならないらしい。

少し楽になった気がする。300万円費やしたにしては程度が軽すぎるが、自分に過大な期待をしたツケだ、しょうがない。でもこの数日、なんだか清々しい気持ちが続いている。この気持ちの名前はわからない。「諦め」というにはあっけらかんとしているし、「爽やか」というほどの清涼感はない。

毎日のように自分にかけていた呪い、「こんな自分なんか死ねばいいのに」という思いを感じることはなくなった。借金返済しんどいけど、今はそれだけでいいや。