いつからかわからないけど「死にたい」と思うことが増えた。
一人でいるときは「早く死にたいな」と口にしていることもめずらしくない。
こういうのは「自己暗示」というらしく、無意識のうちに口にすることでより意識に刻まれるらしい。よう知らんけど。
死ぬ前にやりたいことはなんだろう、と大きめのノートを前にペンを構えた。
真っ先に出てきたのは「借金返済」だった。「立つ鳥跡を濁さず」がいつのまにか私の信条になっていたことがよく表れている。
計算してみたら奨学金やら全身脱毛の分割払いやらビジネス講座代などなどの借金があって、総額なんと450万円ほどだった。わーお。
返済期間を計算したところ、今の私は経済的に恵まれているのであと3年もしないうちに返し終わることがわかった。
3年。
あと3年しか生きられないとしたら、何をしたいだろう?
欲しい化粧品を片っ端から買いまくる、行ってみたかった美容院に行く、いらない物・日記を全て処分する、海外旅行に行く…
出てくることは出てくるけれど、どれもやらなくても後悔しないことばかりで、これからも生きていこうと決心する決定打にはならない。
借金を返し終わったらどうやって死のうか、考えることも増えた。
飛び降りは痛そうだし目撃した人のトラウマになりそうだから却下。
市販の睡眠薬を大量に飲むのは簡単そうだけど、死に切れずに後遺症を抱えて生きていくことになるのはゴメンだ。
手首を切るのが一番現実的か、と思ったが空気に触れるだけで痛みを感じるぐらい深く切らないと死ねないらしい。
苦しまず痛みもなく確実に死ねる方法は今のところ見つかっていない。早く安楽死を法律で認めてくださいよ。
特別死にたい理由があるわけではない。
好きな人にフラれた、仕事が見つからない、お金がない、そういうトラブルとは無縁の、同じような毎日を送っている。ある意味こんな毎日を望んでいた。傷つくことも悩むことも悔しい思いをすることもない、平穏な毎日。
望んでいたはずの毎日を手に入れたら、今度は生きているのか死んでいるのかわからなくなった。家事や習慣がどんどん億劫になった。
私の「死にたい」というのも本気ではなくて、本気で悩んでいる人から見たら腹が立つくらい今の私は恵まれているだろう。
「恋愛経験がない」というコンプレックスはあるものの、本気で死にたくなるほどではない、と思う。
会いたい人もいない、やりたいこともない、欲しいものもない、私みたいな人はどうやって生きているのだろう。
ふと思ったのは、どうせ死ぬなら私を苦しめた相手を苦しめてからにしたいな、ということだった。
けど相手を苦しめたところで私が傷つけられた事実は変わらないし、何より相手のことを調べたり何をするか考えたり計画立てたりするのがめんどくさい。
昔読んだマンガに「光の方へ進むんだ」というセリフがあった。
才能あふれる父が兄弟に向かって言うセリフだった。「過去にとらわれず、未来へ進め」という意味だろう。父と同じく才能あふれる兄は、光の方へ進めた。でも平凡な弟は違った。私にはこの弟の気持ちがよくわかる。
私がこんなメンヘラなことを書いている一番の理由は「生理」だろう。
なんで子どもを欲しいなんて一度も思ったことないのに、毎月こんな目に遭わなければならないのか。私が死ぬとしたら、死ぬ理由の9割は生理で間違いない。だから私の周りの男性陣、もっと私に優しくしろ。労り尽くせ。褒めろ、褒め倒せ。髪型とか化粧とか、些細な違いに気づいて声をかけろ。