幸せになりたいけど 頑張りたくない

実家暮らしアラサー女のブログ。「言語化能力を鍛えるため」という大義名分で更新されるが中身はくだらない。たまにコスメ・映画レビュー。

陰口の弊害

もう随分前になるが一緒に働くのがしんどかった人がいる。

恐らくその人にとっても、私と働くのはしんどかったと思う。

そこを辞めてからは会っていないしこれから会うこともないだろう。連絡先も知らない。

なのになぜかときどき思い出して、あぁ…と嫌な気持ちになることがある。それもいい加減しんどいので、ここに書いて消化させようと思う。

 

まずその人の何が嫌だったかというと、以下の2点に尽きる。毎日聞かされる同じ職場に勤めている人の悪口と、絶対に自分が正しいという思い込みによるこちらの行動の監視と口出しである。

固定メンバーが出入りする環境で、陰口が言われていない所なんてごく僅かだろう。私はほとんど見たことがない。毎日顔を合わせていたらなにかしら思うところが出てくるし、「お互いの知り合い」という話題はまぁまぁ盛り上がる。わざわざ相手に言わずに不満を解消できる、平穏な解決方法とも言える。

しかし陰口には必ず弊害がついて回る。うっぷんを手軽に晴らせるメリットと天秤にかけても、後々弊害の方が大きく出るんじゃないかと思う。

もちろん私も陰口を叩いたことはある。数え切れないほどある。そんな私が偉そうに言えることじゃないのは百も承知だ。ただ今思い出してみても、陰口ばかりで話が盛り上がった相手との関係はすぐに終わったし、心を許せる相手にはならなかった。それに何より、陰口を叩いていた時の自分はさぞかし醜い表情をしていただろうなと思う。

 

その人は話しながら仕事をするのが好きなタイプだった。1つのことにしか集中できない私にとって話しながらの作業はなかなか辛いもので、その話題が陰口となるとさらにぐったりした。ちょっとしたものの言い方、作業手順の違い、誰でもしうる勘違いなど、陰口の内容はバラエティ豊かでとても細かかった。よくまぁそんなことを覚えているなと感心させられるぐらい細かかった。

もちろん他人のちょっとしたことにイラついたり傷ついたりといった経験は私にもあるから、気持ちはよくわかる。ただそれが会う度、一緒にいる時間ずっと聞かされるとその人への印象は自然と悪いものになってくる。その人のことを思い出す度「よく陰口叩いてたな〜」と思う。「ああいう人はどこへ行っても、何かしら不満を見つけては陰口を叩くんだろうな」とも。

その人自身は悪い人ではなかったし、頭の回転が速くて気が利く人だった。何気ない日常の一コマをおもしろおかしく話して笑わせてくれたこともあった。陰口さえ聞かされていなかったら憧れていたと思う。そのぐらい魅力的な人だった。それが陰口によって「思い出してもいい気持ちにならない会いたくない人」になってしまうのはもったいない。別に私にどう思われようが構わないだろうが、寂寞というのはこういう気持ちを指すのかもしれない。できれば知りたくなかった。

そしてその陰口によって「きっと私も言われてるだろうな」と思うようになった。つまらないミスをする度「誰かに言われる」と頭をよぎった。その人と働く時はいつも緊張していた。とても居心地がいいとは言えなかったし、その人と一緒に働く日は前日から憂鬱だった。

 

だが仕事場で重視されるのは、仕事ができるかできないかだ。その人は私とは比べ物にならないほど仕事を速くこなした。その仕事場で1番か2番というぐらい優秀だった。そのぐらいの人でも間違えることはあるし、人によって仕事のやり方や順序というのは違うものだ。他の人から見たら非効率に思えても、当人にとってはやりやすいということもある。よほどの影響を与えない限り各々のやり方でいいんじゃないかと私は思うのだが、その人はそうではなかった。仕事ができる故なのか、自分のやり方が正しいからと他人のやり方を認めることができなかった(ように見えた)。

今であれば「私はこっちの方がやりやすいので」と言えるのだが、当時の私にはできなかった。もめるのがめんどくさかったし、険悪な雰囲気になるのが怖かったのだ。細かいところまで口を出されるのが嫌いな私にとってこれが何よりキツかった。それほど私のやり方が目に余ったということなのかもしれない。アドバイスをしてくれていたのかもしれない。その可能性を考慮してもうっとうしいとしか思えなかったのには理由がある。

いくら優秀な人であっても、私のやり方がその人の目に余るのと同じように、他の人から見たら「それOKなの?」と思うようなやり方で平然と仕事をしていたりする。例え話だが「備品は大事にしてね!」と言っておきながら備品の上にのって作業していることがあった。目撃した時はドン引きした。そういう場面に遭遇する度、その人に口出しされても真面目に聞こうという気がどんどん削がれていった。説得力がなくなっていったのだ。

私もその人同様、そんなどうでもいいことをなんでしばらく経った今も思い出せるのかと言うと、その人が陰口を叩いていたからである。「あんなに陰口叩いてるけど、自分がしていることの方がよっぽどじゃん!」という衝撃が強かったのだ。陰口を叩くとは、自身の評価を下げつつハードルは上げるウルトラマゾヒスティックな行為なのだ。本当に良いことなんて何一つない。その人にとっても、周りにとっても。

陰口を叩くな、なんて言うつもりは毛頭ない。ただ陰口を叩く場所を選んでほしい。それが職場の人の陰口であれば、職場と無関係の所で言ってほしい。それこそTwitterとかいいんじゃないかな。Twitterやってない人はブログ開設して、こんな感じで吐き出すのもオススメだよ。