今月に入ってから映画館で映画を2本観たというのに、一向に感想が書けない。
正確には書けないのではなく、書くのが怖いのだ。
社会人になってから積極的に文章を書かなくなったツケは日毎に増し、私の文章の芯みたいなものがなくなったことを直視するのが怖いのだ。
そもそもお前の文章に芯なんてあるのかよ、と自分でも思うけどあると思いたい。
しんどかった時、文章を書いて立ち直ってきたことに対するプライドだと思う。
他人への警戒心の高さと反比例するように、紙とパソコンにはいつだって絶大の信頼を置いている。「味方」と言うのが一番しっくりくるほど、その存在は心強い。
積極的に文章を書かなくなったことはその味方に対する裏切りと同義であり、そのことがいつも頭のどこかにひっかかっていまいち頭がしゃっきりしない。
文章を書くことはアウトプットでもあって、アウトプットしないと脳が情報過多に陥って新たな情報を吸収できない。
だからかここ数年の私の頭は、水がしみこまない穴の大きなスポンジの様相を呈している。
そんなALWAYS頭ぼーっと状態だからか、この頃Best Coastの音楽が心地いい。
ほどよい脱力感、女の子特有の哀愁とポップ感がクセになる。
明日まとめてアルバム借りてこようかなぁ。
明日はチークとリップも買わなきゃ美容院も予約しなきゃしばらくマスカラもしてなかったけど買おーかなー泡洗顔よりミルククレンジングのがいいって本当かなー、と頭の中は常時こんな感じである。
だからこないだオネエ系の方に「『私の肌、ここがこうだったらいいのに〜!』ってところ、ある?」と聞かれても何も出てこないのだ。
そういうと自分の肌に何の不満もないみたいだが、そんなことはない。ただそのオネエ系の方は「どうしても!絶対にこれをどうにかしたいの!っていうぐらいのものを教えて」と言った。私が答える様子を見て「絶対どうにかしたいとは思ってないでしょ?できたらいいな〜ぐらいでしょ?」と私の欲の無さを即座に見抜いた。
あるいは諦めているのかもしれない。欲が満たされない絶望を、先回りして防いでいるのかもしれない。なんとも未来のないクセだなぁと他人事のように思う。
だが収入が増えたタイミングで美容関係の出費がエゲツないことになっているのも事実で、ここ数週間でヘアアイロン、アイシャドウ、新しいスキンケア用品、パウダーファンデーション、メイクアップクリーム、メイクブラシととどまることを知らず、果てにはヘアカラーをしたい衝動に駆られている。おまけに明日はリップとチークを新調、今も新しいアイシャドウとマスカラの購入を検討している始末だ。
いくらなんでも金使い過ぎだろという呆れと、本当は綺麗になりたくてそのための出費を惜しまなくなった安心を同時に感じている。
ここからどうしたいか、具体的になればいいんだケド。
そんな悩んでる風なことを書いている今、一番感じているのは文章を書くことを「楽しい」と思える喜びである。まだまだ死んでない。