「完璧な人間なんていない」なんて面と向かって誰かに言ったら、9割以上の確率で「そんなこと知ってるよ」と言われるだろう。
そのぐらい「人間は不完全な生き物」という事実は浸透しているのに、なぜか仕事となった途端完璧を求められる。
もちろん仕事の対価として金銭をもらうわけだから、きちんとやるのは当たり前だ。
けど仕事と対価のバランスがとても取れているとは思えないので、ちょっとここで吐き出す。
恐らくこの記事を読んで「コイツ仕事なめてるな」と思われたり、自分の仕事を否定されているようで不快な思いをする方もいらっしゃると思う。
少しでもそう思いそうな方は読まないでほしい。
と言いながら、社会の底辺を漂う負け組(アラサーフリーター)の戯れ言なので別になんの影響力もないと思う。
私がこの記事で言いたいのは、仕事をする上で求められるものと、得られるもの・失うもののバランスがあまりに崩れていることである。
決して仕事というものをなめているわけでも、誰かを傷つけたり不快な思いをさせようとして書いているのではない。
・仕事という大義名分はどこまで許されるのか?
・本当に必要な職業
・求められる能力と得られるもの/失うもののバランス
・理想的な世界
・それでも働く理由
・仕事という大義名分はどこまで許されるのか?
かなり前から時短アイテムが人気だ。
仕事で忙しくて時間が取れないから、仕事以外の時間を短くしよう!という発想はいいとして、中にはそこまでして仕事を優先しなきゃいけないのか?と思うこともある。
例えばお風呂。
仕事で疲れた体を癒す時間を短くし、翌日の仕事に備える…このサイクルに私はどうしても首を傾げてしまう。
食事もそうだ。
仕事から帰ってきて自炊する時間も体力もないから、スーパーの総菜や外食で済ませる。
本来ならもっと安く済ませられた食事代を、仕事で稼いだお金で払うのだ。
正社員として働いていた頃の私にとって、マッサージ代がこれにあたる。
デスクワークなのでどうしても肩と首が凝り、毎週末マッサージに通っていた。
決して充分ではないお給料からマッサージの回数券代を払う度、「このお金の使い方って、なんか違うよなぁ」と思ってはいたものの、突き詰めてものを考えることに使えるほど体力は余っていなかった。
平日は肩と首をバキバキに凝らせ、週末だけにマッサージしてもらってもどうせ次の日にはバキバキに凝るのだ。
こんな馬鹿馬鹿しいループもお金の使い方も、もう二度と経験したくない。
私の場合、どうひっくり返ったって生活>>>>>仕事であって、仕事をバリバリこなすより日々の生活を丁寧におくりたい。
「仕事だから」という理由で大抵のことが許されちゃうのも、なんだかなぁ。
「仕事ならしょうがないね」という風潮が「仕事を最優先しろ」という無言の圧力に化けてしまった、と思う。
・本当に必要な職業
そもそも私が仕事より生活を絶対優先させる理由として、「世の中本当に必要な職業って、ほんの数種類じゃないか?」と思っているからである。
今の私がしているアルバイト含め、なくなって世の中が回らなくなる仕事なんてほとんどないと思う。
ほんの少しのミスが人命に関わったり、人々の生活がダウンしてしまう仕事も限られている。
だがそれ以外の、人命や生活に直接影響を与えない仕事で些細なミスをする人に対して、他の仕事人は異常に厳しい。
そりゃあ同じミスを短期間で繰り返したり、言われたばかりのことを忘れていたりというのは問題があるし、イライラするのもわかる。
けどほんのちょっとしたミスなら、もう少しゆるく許してもいいんじゃないかなと思う場面をよく見かける。
冒頭でも述べたように、仕事はきちんとこなすべき、そうして当たり前なのだけど、それを理由にそこまで厳しくする必要性を感じられないのだ。
・求められる能力と得られるもの/失うもののバランス
冒頭の繰り返しになるが、 人間は完璧ではない。
そのことはよくわかっているはずなのに職場に着いた途端、完璧を求められる。
一度言われたことは全て覚え、言われた通りに業務をこなし、周りを見て必要であれば先回りしておく気遣いは最早社会人のマナーとして必要最低限の能力になっている。
これだけの働きぶりをフルタイムで求められ、得られる給料は生活にまぁ困らないけど海外旅行とかすぐに行けない額、というのがほとんどではないだろうか。
私の例で言えば、毎月の生活費+マッサージ代でカツカツになるぐらいの額で、貯金なんて全くと言っていいほどできなかった。
私はその給料と引き換えに膨大な自分の時間を失い、ちょっとした診断で引っかかる程度に健康も損なった。
何より精神状態が荒んで、仕事を始めてから辞めるまで「働くか死ぬか」という精神状態だった。
仕事が私に合っておらず楽しめなかったこと、仲いい人を職場に作れなかったこと(これはコミュ障の私が悪い)、給料の安さにとどめを刺され、わりとすぐに仕事を辞めた。
「石の上にも三年」なんてことわざがあるが、三年も我慢して得られるものがあるとは限らないと私は思っているし、実際前の仕事はもっと早いタイミングで辞めても良かったんじゃないかと未だに思う。
一言で言っちゃえば、みんなむちゃくちゃ莫大なエネルギーや時間を仕事につぎ込んでるんだから、もっと得られるものがデカくないとおかしくない?ってことである。
・理想的な世界
私が思い描く理想の世界はこんな感じだ。
まず職業を必要最低限なものに絞る。けど本当に必要最低限なものに絞ると娯楽がなくなってしまうので、娯楽も残す程度に。
働く人を必要最低限に絞った所で、働く人たちの給料をめちゃくちゃ上げる。
毎月ボーナスか!ってぐらい上げる。
そしてありとあらゆる面で優待する。だって働いているんですもの。
その一方で仕事=収入源を失った人たちはベーシックインカムでお金をもらう。
働いていたときよりちょっと少ないけど、生活はしていけるね、という額。
そうなったら世の中イライラしている人も減るだろうし、生活を大事にすることで精神的にゆとりをもって暮らしていけると思う。
マジでこうならないかな〜。
・それでも働く理由
そんなことを言いながらも私は働いている。バイトだけど。
一番の理由はお金だ。不労所得でもない限り、働かなければ稼げない。
けど仕事を探す時、給料だけを見ているかというとそうでもない。
仕事内容や職場の雰囲気、そこにいる人を必ず想像する。
せっかく働くなら楽しく働きたいし、あわよくば知恵とか技術とか身につけたいし、さらに欲を言えば従業員割引とかでオイシイ思いもしたい。
あと人の役に立ったり、感謝されたり必要とされるのが単純に嬉しいというのも大きい。
なんだかんだ、働くことでお金以外のメリットもしっかり享受しているのだ。
ただそれで週5日働けるかといわれるとノーなので、今こうやってふらふらしてるわけだが。
正社員=週5日フルタイムで働く、っていう図式が崩れたらいいのになぁ。
もう仕事はレジャー!ってぐらい精神的なゆとりを持って働ける時代が来ることを夢見て、明日のバイトに遅刻しないように寝る準備しよ。