ニンフォマニアック Vol.2(Nymphomaniac Vol.2)

引き続き、ネタバレあり。

 

第6章 東方教会西方教会(サイレント・ダック)

性感を得られなくなってもジェロームとセックスに励むジョー

あれだけ通ってきた男たちも通わなくなり、ジョーの相手はジェロームだけになります。

窓の外に、Fが乗っていた中古の赤い車がないのを見た時、ジョーはやはり寂しかったのでしょうか。

そんな中ジョーは妊娠、性感を取り戻せることを期待し帝王切開で出産しますが、相変わらずオーガズムは得られないまま。

限界を感じたジェロームはとうとう「他の男ともセックスしろ」とジョーに切り出します。

同監督の「奇跡の海」を思わせます。

Vol.1でもジョーは、ジェロームが動かせなかったモペットのキャブレターを動かしたり、縦列駐車を華麗にこなしました。

いくらジョーが度を超えた色情狂だからといって、性的に満足させられないのは男のプライドずたずただったでしょう。

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当然一緒にいるのは堪え難く、ジェロームは家を空けるようになります。

 

さてこの時ジョーは、初めてオーガズムを得た時の話をします。

12歳の遠足の時、体が宙に浮かび性器に触れることなくオーガズムを得たというびっくり仰天な話です。

その時自分の両隣に女が2人いたというのですが、これが歴史上最も悪名高い色情狂と大淫婦という信じがたい話です。

セリグマンをからかおうとして作り話をした可能性も考えられます。

ですがジョーの性格からすれば、キリストを冒涜したいのならホラ話などせずストレートに侮辱したことでしょう。

お話を盛り上げるためのホラ話という可能性は捨てきれませんが。

 

セリグマンとジョーの会話は相変わらず噛み合わず、性とは関係のないところで一人盛り上がるセリグマンが実は童貞であることが判明します。

これがモテない人の会話かー、なんて妙に納得。

セリグマンとジョーの会話は、女を感心させてベッドに誘い込もうとする滑稽な男と、それを見抜いてシラける女に見えなくもないです。

 

ジョーは自宅近くにたむろしていた黒人とのセックスを試みます。

いざホテルで黒人兄弟とことに及ぼうとするわけですが、言葉が通じずコミュニケーションがとれません。

ホテルの密室で女1人に男が2人、危険極まりない状況ですが、これもなぜか笑えてしまいます。 

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兄弟は聞き慣れない言葉で喋り、字幕も出ないのでなにを喋っているのかはわかりませんが、どうやら「どっちの穴にいれるか」でもめてるようです。

ちっとも行為が進まず、冷めたジョーはこっそり帰宅。

この時ジョーは黒人兄弟を「ニグロ」と言います。

セリグマンはそのことを咎めますが「言葉を規制してなんになるの」と反論、結局セリグマンは「ニグロ」と言ってしまいます。

ジョーは筋の通った考え方をしており、観ているこちらも納得させられてしまいます。

 きれいごとを正論でバッサリ切るのはなかなか勇気ある行動です。 

ジョーが欲望第一に行動する自己中であるにも関わらず、嫌いになれない、むしろ好感が持てるのはこういうところかと。

 

黒人兄弟では満足できなかったジョーは次なる男、Kの元へ向かいます。

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Kは薄暗いビルの、恐らく地下で女性相手に「暴力的」なことをしていると噂されており、謎の多い人物です。

ジョーが待合室に着くと、身なりのいい女性たちが既に座って静かに待っていました。

信頼できる筋から紹介された女性のみ通えるシステムなのでしょう。

ガラスのドアの向こうから現れたKは初めて見るジョーに「帰れ」と言いますが、なんとしても性感を取り戻したいジョー、帰りません。

結局Kは根負けし、「ムチを買って夜中にまた来い」と言います。

「子どもがいるから夜は来れない」とジョーは訴えますが、Kはガラスのドアの向こうへ消えてしまいます。

 

この時のジョーのメイクなんですが、左目だけ濃く見えて「時計じかけのオレンジ」のアレックスを彷彿とさせるんですよね。

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レックスが夜な夜な片目につけまつげをつけ、自分の欲望を爆発させる「超暴力」の旅へ出たことを引用しているように思えるのですが、深読みしすぎでしょうか。

Vol.1でジョーとBが電車に乗った際のBGMが「イージー・ライダー」の主題歌、Born To Be Wildでしたし、昔の映画からの引用とも取れる箇所があって飽きません。

 

ベビーシッターを雇い、Kの元へ通うジョー

性行為はせず、行為を中断させるセーフワードも存在しないガラスのドアの向こう、未知なる性の世界へ歩を進めます。

部屋に通されたジョーは、身動きできないようガムテープで拘束され、ソファーに縛り付けられます。

おびえるジョーに「大丈夫」「気を楽にして」とやさしく声をかけるK、プロのサディストです、ちょっとときめきます。

だってカッコイイんだもん。

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スピンオフ作品「サディスティック」をぜひとも制作していただきたい。

 

未知の痛みへの期待と恐怖が性感となり、徐々にセクシュアリティを取り戻していくジョー

ベビーシッターが約束通りの時間に来なくとも、子どもを一人家に置いていくようになります。

 

子どもを置いていくことにためらい、待合室でも時計を何度も確認し、家に帰ってきて無事であることを確かめ泣いていることから、愛情があったことは間違いありません。

人並み外れた欲望さえなければ、ジョーは幸せな人生をおくれたはずです。

欲望によって周りを不幸にしているように見えますが、実は一番の被害者はジョー自身です。

 

そしてある夜、子どもがベランダから転落しそうになります。

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言わずもがな、同監督の「アンチクライスト」のパロディです。BGMも同じ。

トリアーファンにとってはたまらない映画ですね。

すんでのところでジェロームが帰宅しことなきをえますが、ジョーが夜な夜な家を空けていることがバレてしまいます。

そしてクリスマスの夜、「今夜家を出たら2度と僕と子どもに会えないと思え」とジェロームに告げられます。

しかしなによりも欲望を優先させるジョー、2人をおいてKの元へ向かいます。

夫と子どもを失ったジョーは、念願のオーガズムに達します。

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この映画を観ていて常々思うのは、出ている女優さんたちが本当に偉いです。

文字通りカメラの前で全部さらけ出します。

女性にとってこれほどリスクの高いことはありません。

いくら傑作であろうと、ここまでできる女優さんが果たして何人いるのか。

ステイシー・マーティンシャルロット・ゲンズブール、そしてこの後登場するP役ミア・ゴスにはいくら拍手をおくっても足りません。

 

この映画で不思議なのは、愛する相手と共にいる時は性感を失い、愛する相手を失うと性感が復活するところです。

愛する人がそばにいて「満たされた」状態になると性感を失うということなのでしょうか。

 

話終えたジョーは持っていたカップを壁に投げつけ「感傷的なのは大嫌い。嘘だから」と激高します。

ジョーが子どもに愛情をもっていたのは確かですが、そういったことをジョーは一言も口にしません。

愛情を持っていようといまいと、子どもと夫を捨てたことに変わりはなく、それはジョーにとって「愛していない」のと同義なのです。

そんなジョーにとって、過去の感情に浸る「感傷」はでたらめであり、インチキで、根拠のない行為なのでしょう。

やはり筋が通っているのですが、不器用ととれなくもありません。

 

第7章 鏡

性感を取り戻したジョーはまたセックスに耽る日々に戻ります。

毎晩違う男と過ごすと会社内で噂され、セックス依存症のセラピーに通うよう上司に命令されてしまいます。

おまけに性器からの出血というトラブルにも見舞われ、暗雲が立ちこめます。

 

この章で釈然としないことが2つあります。

1つは、ジョーは自らを「色情狂」とは名乗りますが、「セックス依存症」とは認めません。

セックス依存症は欠乏感から性を求めるけれど、私は欲望から求める」とVol.1でジョーは明言していました。

それを踏まえても「セックス依存症」と括られることに頑なに抵抗する理由はよくわかりません。

2つ目は性器からの出血です。

数えきれないほどのセックスとSMも経験したとはいえ、そこまでの無茶をしているようには見えませんでした。

「でもまぁ映画だから」と思ってましたが、どうもここらへんの事情はカットされてしまっているようです。

 

セラピーの先生に「身の回りから性を連想させる物を排除しなさい」と言われたジョーは部屋中の物を捨て、ビニールで覆います。

それこそ水道の蛇口から机の角にいたるまで、「そう言われればそう見えないこともないけど」というものばかりです。

しかしその甲斐あって?セックスをしない日々を送ることに成功したジョー

セラピーの集会に原稿まで持参し、発表します。

しかし、ふと見た鏡に幼い日の自分がこちらをじっと見つめているのに気づきます。

そしてジョーは原稿を破り捨て、「私は絶対にあんたたちなんかと違う。私は色情狂よ。自分を正当化するためのセックスなんかしない。自分の性器も欲望も大好き!」と宣言し立ち去ります。

カッコイイです。

 

恐らく鏡に映ったジョーは「社会に徹底的に反抗する自分」を表していたのではないでしょうか。

ジョーにとって社会は、偽善的で愛を美徳とするインチキ極まりない世界なのだと思います。

なぜか異常な欲望をもって生まれ、そのせいで社会になじめないジョーにとって、自らを「セックス依存症であり、性を排除する」選択をさせられることは、屈辱に近かったのでしょう。

とうとう社会を見捨て、裏社会へ足を踏み入れます。

 

第8章 銃

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裏社会に通じている男Lから借金取り立て業を任せられ、順調に仕事をこなすジョー

(ちなみにL役には「アンチ・クライスト」でS・ゲンズブールの夫役を演じたウィレム・デフォー

ある時Lから「跡継ぎが必要だ」と言われ、Pという女の子と接触するようもちかけられます。

Pは犯罪者の家庭で育った孤独な女の子で、言ってしまえば手なづけやすい子です。

偽善や嘘を嫌うジョーは断りますが、Lにそそのかされ、Pが所属しているバスケクラブの試合を見に行きます。

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右耳が変形していることを気にかけ、試合中も髪で隠そうとするP。同情を誘います。

ジョーがよく試合を見にきていることに気づいたPは、自分からジョーに話しかけます。

そのうち2人は親密になり、一緒に暮らし始めます。

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P役はこの映画が初出演のミア・ゴス。かわいいです。

生意気そうなのに従順そうに見えるときもあって、普通の女の子にはない不思議な魅力を持っています。

これからいろんな映画出るのかな、楽しみです。

 

孤独だった自分を拾ってくれたジョーに、Pは特別な感情を抱き始めます。

下半身の痛みが治まらず、セックスができないジョーも、同じぐらい孤独だったのでしょう。

ジョーもPに対して愛情を感じるようになります。

しかしもともと2人は「なにかあったときPがジョーの身代わりになるように」というLの計らいで出会いました。

なぜ突然自分の前に現れたのか、Pに聞かれたジョーは全て正直に話します。

 

嘘をついた方が自分の身を守れる状況でもジョーは嘘をつきません。

ジョーが忠実なのは自分の欲望に対してであり、利己的ではないのです。

自分の欲望を隠すことなく、きれいごとも言わず嘘もつかない筋の通った生き方をしているジョーに、憧れすら抱きそうになります。

 

力になりたいPは、ジョーの取り立てについてくるようになります。

どこからか手に入れた銃を相手に突きつけることも躊躇しません。

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Lの狙い通り、Pが忠実な犬になったように見えますが、自分を騙していたジョーを憎む気持ちがなかったとは思えません。

この後の行動から、いつかジョーに復讐しようと企んでいたと思われます。

 

ある日ジョーがPを連れ取り立てに向かった先は、なんとジェロームの家でした。

家の前で気後れしたジョーは「この仕事はあなたが1人でやってみるべきだわ」とPに任せ、家に戻ります。

Pはジョーに言われた通り無理のない返済計画をジェロームに提案し、支払いを数回に分けて行うことになりました。

そして最後の取り立ての日、Pはなかなか帰ってきません。

遂にジェロームの家に向かったジョーが目にしたものは、裸でジェロームといちゃつくPの姿でした。

Pとジェロームと同じ街にはいられないと家を飛び出したジョーは、導かれるように山へ。

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風に吹かれ、不格好に変形しながらもしっかり根を張っている木を目にし「この木のように生きたい」とジョーは願います。

木は崖を挟んだ向こう側に生えており、ジョーは決して触れることができません。

満たされない欲望を抱えたジョーが、やはり触れられない木のように生きたいと願うのは、とても象徴的で切ないです。

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そしてジョーは街へ戻り、ジェロームを殺すため銃を持って家を出ます。

セリグマンに「人が人を殺すのは自然なこと」と言いますが、展開が唐突です。

何を思ってジェロームを殺すことを思い立ったのか、経緯は話されませんが、Pを独占しようとしたのでしょうか。

 

いちゃつきながらPと路地を歩いてくるジェロームに引き金を引きますが、弾は出ません。

安全装置が外されてなかったのです。

ジェロームは何も言わず、ジョーを何度も殴ります。

そして倒れたジョーの目の前でPの性器を3回、肛門を5回突きます。

ジョーにとってこれほど屈辱的なことはなかったでしょう。

おまけにPに放尿されてしまいます。

そんな最悪な出来事の後で、セリグマンに拾われたのです。

 

ジョーの話を聞いたセリグマンは「安全装置の外し方を知っていたのに外すのを忘れていたのは、無意識下でジェロームを殺したくないと思っていたからだ。君は心の底では人間を讃えているんだ」と言います。

ジョーが話し終える頃にはすっかり朝になっていました。

セリグマンは夕日に多くを求めすぎたジョーに「君は与えられた以上に欲したんだ」と言いながら、自宅の窓から見えるわずかな朝日を見せます。

壁に反射した本当にわずかな光で、セリグマンの言っていることも的を得ているとは思えません。

でも美しいです。じんわり感動します。

朝日を見たジョーは、性を排除した人生をおくることを決意します。

そして唯一の友達セリグマンに「ありがとう」とお礼を言います。

眠るジョーを寝室に残し、部屋を出るセリグマン。

 

ここで終わればまぁまぁ後味さっぱりの、感動的な映画です。

ですが鬱エンドで有名なトリアー監督、いい意味で期待を裏切ってくれます。

 

ジョーが眠りについた頃、そっと寝室に入るセリグマン。

下には何も履いておらず性器丸出しです。

寝ているジョーになんとか挿入しようと試みますがうまくいかず、そうこうしているうちにジョーが目覚め、「やめて」と拳銃を手に取ります。

画面が暗転、セリグマンはジョーに「散々男とヤッたくせに」と言い放ちます。

ジョーは今度こそスライドを引いて安全装置を解除、発砲。

人が倒れ、急いで部屋を出る足音がしたところで映画は終わります。

 

「性を排除した人生をおくる」と決意した次の瞬間殺人を犯し、まともな人生をおくれなくなったジョー

欲望に振り回された女の話を聞き、これまで抑圧してきた欲望を満たそうとした瞬間女に殺されるセリグマン。

これ以上の皮肉はありません。

そしてこの映画にこれ以上のラストはないと思うのです。

ジョーセリグマンにお礼を言ったところで終わってしまったら、記憶に残る映画にはならなかったでしょう。

主人公のジョー同様、きれいごと一切なしのラストは一貫しています。

 

エンドロールで流れるS・ゲンズブールの「Hey,Joe」がすごくいいです。

元はジミ・ヘンドリックスの楽曲だそうです。

訳詞をネットで探したところ、不貞を犯した妻を夫が銃で撃ち殺す歌で、ぴったりですね。

歌詞には妻を撃ち殺した夫を誉め称えるところまであって、やはり性に関する男女の許容差は埋まらないことを思い知らされます。

元の楽曲は聴いたことないですが、S・ゲンズブールの囁くような歌声が聴いていて気持ちいいです。

ジョーの名前はこの曲からとったのかもしれません。

 

この映画の中で幸せになる人は一人もいません。

けれど観終えた後、なぜかスッキリした、晴れ晴れしい気持ちになります。

園子温の「冷たい熱帯魚」を観終えたときの爽快感と通じるものがあります。

きれいごとや常識という覆いを取っ払った後に見える人間の本性や欲は醜いのかもしれません。

しかしそれを見せられた時の快感は代え難いものがあります。

 

鬱展開で有名な監督ですが、笑いがところどころに散りばめられてて、必ずと言っていいほど毒を含んでいて監督ならではのコメディを呈しています。

監督の過去作もちょくちょく顔を覗かせて、映画本編とは関係のないところでも楽しませてくれます。

そしてきれいごとを残らず排除した映画でのみ得られる快感で締めくくるラスト。

間違いなくトリアー監督の最高傑作です。