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ニンフォマニアック Vol.1(Nymphomaniac Vol.1)

ネタバレあり

 

2013年公開作品個人的ベスト3。

自らを色情狂と名乗る女、ジョーのこれまでの人生が語られます。

幼少期から50代に至るまでの話を聞けば、その人と長い時間共に生きてきた錯覚を覚えるのが常ですが、そうならない不思議な話です。

というのも、語り手のジョーは自分の人生で何が起こったかは話しますが、そのときの自分の感情はほとんどといっていいほど語りません(アゴタ・クリストフの「悪道日記」を彷彿とさせます)。

ジョーの考えや価値観を推測できるぐらいのヒントは与えられますが、断言するには根拠に乏しい。

脚本がものすごく練られています。

どこまでも深読みできて、何回観ても楽しめます。

しかしどうしても腑に落ちない部分があり、ぐぐってみたところ日本公開版ではカットされた箇所があるそうで。

私が観たのは日本版で、ノーカット版は未見。

カットされた部分に関しての言及はしていません。

 

Vol.1、Vol.2に分かれており、非常に長いですが全く退屈せずに観ることができます。

長いとどうも感想が書きにくいので、重要と思われるキーワードとそれについての考察、章ごとの感想と分けて書きます。 

恐らくこの映画の一番の楽しみ方は、劇中のジョーのセリフにあるように「お話しを楽しむ」ように観ることだと思います。

いくら深読みしたところでジョーを理解することは不可能ですし、ジョーを理解するための映画でもないからです。

真面目に分析したり考察したりなんてしたところでなんの意味も持たない、むしろ滑稽なだけです。

 

キーワード1:愛

・嫉妬をまじえた強い欲望

・不誠実

・イエスなのにノーと言うこと

劇中のジョーのセリフです。

ジョーはエロスについて「イエスと言うこと」と語っていることから、愛とエロスを対極なものとしてみていたのでしょう。

ジョーにとっての愛とエロスは以下のように書き表せます。

愛=欲望<感情

エロス=欲望>感情

 

キーワード2:偽善

・人間の特質

・正しいことを言う悪人を賞賛し、間違ったことを言う善人をあざ笑う

これも劇中のジョーのセリフです。

言葉より行動にその人の本質が表れると思っていることがうかがえます。

第3章「H夫人」で他人の家庭を意図せず破壊してしまったジョーは、「私の人生に影響はなかった。オムレツを作るには玉子を割らなきゃ」と涼しい顔で言ってのけます。

「人間生まれながらにしてみな罪深い」と考えているのではないでしょうか。

ジョーにとっての偽善とは「生まれながらにして人間は罪深いという事実から目を背け、ものを言うこと」なのだと思います。

 

キーワード3:夕日、向こう側の世界

予告編でも使われていたセリフ「私の唯一の罪は夕日に多くを求めすぎたことかもしれない」には続きがあります。

「夕日が地平線に沈む時、もっと壮麗な色を見せてほしいと」

この「地平線」と同じような意味をもつと思われる言葉が「向こう側の世界」です。

「冒険しなくちゃ。向こう側の世界で自分の人生を取り戻すために」とジョーは言います。

夕日、向こう側の世界、この2つの言葉の意味するところは「決してたどり着けないところ」だと思います。

ジョーにとって欲望が満たされることは、死をも意味していたのではないでしょうか。

「もっと」と求め続けるジョーは子どものようです。

ジョーが子どもと違うのは、満たされないと承知している点です。

そんなジョー役に、どこか少女らしさが残るシャルロット・ゲンズブール

これ以上この役にはまる女優さんはいないでしょう。

 

第1章 釣魚大全

路地に倒れていたジョーをセリグマンが発見し、自宅に連れて帰ります。

「何があった?」と聞くセリグマンに「自業自得よ」「私は悪い人間なの」と要領の得ない返答をするジョー。

「あなたには理解できっこないわ」と言ったジョーにセリグマンは「話せ」と促し、ジョーはこれまでの人生を語り始めます。

「理解できっこない」という言葉は、博識であるセリグマンを意図せず挑発したのでしょう。

この挑発があのラストに繋がったんじゃないでしょうか。

 

ジョーは自らの性器に2歳で気づき、刺激を与え快感を得られることを知ります。

友人Bとバスルームを水浸しにし、床に性器をこすりつける「カエルごっこ」に耽るエピソードでは、子役にどんな演技指導をしたのか、子役の親にはなんて説明したのか、非常に気になります。

 

ジョーがお父さんっ子であったエピソードがここで入ります。

父親は医者で、ジョーをよく散歩に連れて行っては木の話を聞かせてくれたこと、その話を聞くのが好きで、忘れたふりをしてお話しをせがんだことが語られます。

 

後に数えきれない男たちと関係を持つジョーにとっても、初体験は思い出深いものにしたかったのでしょう。

「イイな」と思える男Jに「処女を奪って」と頼みます。

しかし前戯もキスもなしで挿入され、性器3回、肛門を5回突かれて終わります。

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この3と5と合計数8を「屈辱的な数字」と語るジョーに、「フィボナッチ数だ!」と興奮するセリグマン。

なぜ3と5なのか、ただ単にセリグマンを興奮させる要素として選んだだけなのかと思ってましたが、8を横にすると∞、ジョーの限りない欲望の始まりとも考えられます。

「もう誰ともヤらない」と誓ったジョーですが、友人Bと列車に乗り「目的地に着くまでに一人でも多くヤった方が勝ち」というとんでもない遊びをします。

ジョーはBに勝つため、妻と子作りをするため急遽列車に乗ったSをフェラチオで射精させます。

Sは見た目からしてセックスの回数が限られている年齢であり、ジョーがSを射精させたことでS夫妻は子どもを授かれなかったかもしれません。

それを承知で、ジョーは「勝ちたい」という自分の欲望を優先させました。

自分の欲望を優先させたことは認めますが、罪悪感を感じたかどうかは口にしません。

この話を聞いたセリグマンは自分の好きな釣りと絡め「魚がつれない時、釣餌を必殺武器に変えるけど、君の必殺武器はフェラなんだね!」と言い出します。

このちぐはぐが笑えます。

「コイツ人の話聞いてんのか」という状況は、当事者はイライラしますが、端から見てる分には笑えることこの上ないです。

 

第2章 ジェローム

1章を語り終え、2章に入る前にジョーとセリグマンは互いに自己紹介します。

セリグマン」の名を聞き「バカみたい」と笑うジョー。失礼極まりないです。

しかし何回か観るうち「もしかしてジョーは宗教の知識があって、そのことを表してるのでは?」とも思うようになりました。

セリグマン」という名はユダヤの名で、「幸せな人」という意味が込められています。

なぜ笑ったのか理由はわかりませんが、ジョーから見たセリグマンは幸せそうに見えなかったのかもしれません。

ジョーに宗教の知識が備わっていることがなぜ引っかかるのか、Vol.2の感想で書きます。

 

Bと「会」を発足し、男漁りに耽るジョー。

「男とは1度きり、同じ男とは2度とヤらない」という会のルールを破り、Bはアレックスという男と恋に落ちます。

「セックスに必要な秘密の要素は愛よ」とBに囁かれ、失望したジョーは脱会。

ジョーは満たされない欲を常に抱えています。

その欲を満たすために必要なものをBは教えてくれたのですが、どこまでも反抗的なジョー、聞く耳を持ちませんでした。

 

ところで日本語には「恋」と「愛」という言葉があり、持つ意味も違います。

しかし英語で「恋に落ちる」はfall in love、「愛」はlove、同じloveという言葉を使います。

こういう違いは考え方に影響を与えると思うんですが、実際どうなんでしょ。

まぁ映画と関係のない話ですね。

 

成人し、仕事を求めて印刷会社のアシスタントに応募したジョー。

その会社の代表はなんと最悪の初体験の相手、ジェロームでした。

 「君はあの頃と変わらないな」と迫るジェロームをジョーはなぜか拒みます。

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なんとも思わない相手とは簡単にセックスするにも関わらず、他の男とは違う対応をしたのです。

やがてジェロームに恋をしていると気づいたジョーは、自分の気持ちを手紙にしたためますが時既に遅し、ジョーは別の女性と結婚し何も言わずにジョーの前から姿を消してしまいました。

失恋をしたジョーは電車に乗り、乗客とジェロームの似ている箇所を探し、頭の中でジェローム像を組み立てます。いわゆるジグソーパズルです。

そして「彼のことを心にとどめておくため」電車の中でオナニーします。

このジグソーパズル、失恋した人は経験あるんじゃないでしょうか。

街を歩いていて「あの人、髪型が似てるな」とか「そういえばああいう服着てたな」とか。

ジョーの欲望と行動は常軌を逸していますが、それ以外は特別変わったところはないのです。

 

第3章 H夫人

当時何人もの男と同時進行系で関係を持っていたジョー。

そろそろ自宅にAがやってくるのにHはなかなか帰ろうとしません。

既婚者であるHを帰らせるため「私のために家族を捨ててはくれないでしょ」と追い出します。

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しかしHは自分の荷物をまとめてジョーの家に戻ってきてしまいます。

おまけに妻子に跡をつけられていたと言う間抜けっぷり。

H夫人がジョーの家に上がり込み、子どもたちにこれからの人生について話して聞かせます。

文章にすると修羅場そのものですが、笑いどころが満載です。

というのも、ユマ・サーマンの演技が絶妙なんです。

悲惨すぎず、大げさすぎず、笑いに徹しているわけでもないのに吹き出してしまうんです。

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しかし状況が状況なだけにおおっぴらに笑うのもなんだか気が引ける、そんな居心地の悪い思いをさせられます。

そうこうしているうちにAがやってきてしまい、事態はさらに泥沼化。

事情を把握したH夫人は「あなたが孤独を楽しむ姿を見てみたいわ」と言います。

この話を聞いたセリグマンは「この時君はどう思った?不快だったのか?」と聞きますが、ジョーは答えません。

自分の欲望が他人を傷つけそれを防げないこと、結果罪悪感を感じたところで何の意味ももたないと承知していたのではないでしょうか。

ジョーがかたくなに自分の感情を語ろうとしないのは、セックスに感情を必要としていないこととも関係があると思います。

質問に答える代わりに「確かに孤独を感じたことはあった」と7歳の時に受けた手術の話をします。

手術を受ける前の心境について「くぐれないはずのゲートをたった1人でくぐる気がした」と語ります。

この「くぐれないはずのゲート」は上のキーワードで挙げた「夕日」「向こう側の世界」と同じような意味を持っているのかもしれません。

くぐれないはずのゲートの前に立っていることが孤独なら、ジョーの欲望は常に孤独とセットになっています。

 

第4章 せん妄

ジョーの大好きなお父さんが病気になり、入院します。

病状が悪化し、取り乱し混乱する父親の姿を目の当たりにしたジョーは、病院内で働く男とセックスに耽ります。

欲望からというより、逃避に見えます。

まだ普通に話せる状態の父親が「死は怖くない」と語ります。

「われわれが存在する時死は訪れず、死が訪れる時われわれは存在しない」

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この哲学者の言葉の「死」を「満足」に置き換えると、ジョーの欲望を言い表せます。

先ほど「ジョーにとって欲望が満たされることは、死をも意味していたのでは」と書いたのは、このセリフでそう直感したからです。

父親が亡くなり、死体の前でジョーは自分が濡れていることに気づきます。

「向こう側の世界」を近くに感じた肉体の反応でしょう。 

 

第5章 リトル・オルガン・スクール

4章の話が終わり、室内のテープレコーダーに気づいたジョー。

バッハのテープが入っていたことからセリグマンが「定旋律」について話し始めます。

この話についてはうろ覚えですが、基礎、メロディ、アクセントの3つのパートで楽曲のハーモニーが完成する、とかいう話だったかと。

この話に倣い、3人の男に絞ったジョーの話が始まります。

 

1人目はF。

約束の1時間も前に来てジョーが他の男と行為を終えるのを待つ、従順な男です。

花を毎回欠かさず持ってきたのでしょう、安心と安らぎを与えてくれたとジョーは言います。

2人目はG。

Fとは正反対の、野性味あふれる男です。

そして3人目はジェローム

ジェロームとは散歩中に偶然再会します。

当時ジョーは、仕事や男たちとの約束の合間をぬって散歩をしていました。

散歩について「私の人生を象徴している。単調で意味がない」と語ったことから、人生や生きることに対して悲観的な面が見えます。

「君とジェロームの再会は偶然にしてはできすぎてる」と話を遮るセリグマンに「お話しを楽しむのはどっち?」とジョー。

お話し上手なのは父親譲りでしょうか。

 

ジョーは「私は何人もの男と寝たけど、それらを性的経験の総称としてしか見ていない。1人の男と添い遂げたのと同じ」と言います。

大事なのはハーモニーであり、男たちはそれを奏でる楽器に過ぎないのです。 

安心感を与えてくれるF、男の魅力にあふれるG、他の男とは違う存在、ジェローム

この3人、女が男に求める要素が全て揃ってると言っても過言ではないと思います。

それでもジョーの欲望は満たされず、「私の穴を全て埋めて」とジェロームに言います。

このセリフは度々出てきます。

言う相手は毎回ジェロームです。

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満たされはしないけれど、まずまず幸福とも言える生活は、ジョーの性器が無感覚になったことで終わりを告げ、Vol.1の幕切れとなります。